キリストとキリストの天使たち

サタンとサタンの天使たち

の間の
大闘争
にまだ実現されてない預言とその説明

1858年この本に書かれた預言は数多くあります。 直接神様から幻などが与えられ、エレン・ホワイトが忠実に見たものや聞いたものを書いて、神様に従おうとする世の終わりの時代に生きてる私たちにどうしたら良いのか、真理はどこにあるのかなどを教えています。

似た題名の本が1884年、1888年、1911年に編集され、この原版の本は見落とされてしまった。 だから我々セブンスデーアドベンチストはこの本の内容を知ってると思い込んで、なかなかこの原版の本を調べようとしない。 でも最近エレン・ホワイトの初期の本の簡潔さ、鮮明さ、力強さなどが見直されつつあります。 後の「大争闘」にない素晴らしい預言がこの大闘争に書かれてるので、この本にあるすべての未来の預言をリストアップしました。

この研究は大争闘やこの大闘争を読んだ事がある人向けです。 それらを読まなくても構わないけど、SDAである人や上のどちらかの本を読んだ事のある人しか理解できないと思います。 背景知ってる人がこの本をより深く理解できるように、SDAの信者の間でもあまり知られてない預言に重点を置きました。 預言はこの本に出て来る順番でリストアップされています。 この原版の大闘争の日本語版か英語版を入手するには、ここをクリックして下さい:

日本語版
英語版

本に出て来る預言を色付けました。

赤→こういう預言はたぶん1%以下のSDAの信者しか知らない。

紫→こういう預言はたぶん10%以下のSDAの信者しか知らない。

青→こういう預言はほとんどのSDAの信者が知ってる。

僕の説明や注解は各引用された段落の真下にあります。 現在、我々SDAの信者にとってすごく大事な箇所(4つ)に「」しるしを付けました。

ダニエル・ウインターズ 2003年4月

第4章 イエス・キリストの最初の降臨

合法的に世の国々を相続し、手渡され、そして永遠に所有するために自分の父の指示に従い、苦痛な人生とひどい死に方の道を選んだ。 その上、サタンもいつかイエスの手に渡され、死で滅ぼされ、二度とイエスや栄光にいる聖人たちを煩わせる事はない。

地球を造ったイエス・キリストが自分の父(父なる神様)の法律に従って、この世を救おうとしています。 神様の法律を変える事ができるなら、イエス・キリストは死の道を選ばなかったでしょう!


第6章 イエスの姿変わり

イエスの第二回の現れに死から復活される人たちの代表者、モーセはその姿変わりの場に居た。 そして、死なずに天国に移されたエリヤは、イエスの再臨の時に死なずに天国に移され、永遠の命を持つようになる人たちの代表者であった。

モーセは死から復活する人の代表者であるところが目を引く。 イエス・キリストの再臨の時にちりからよみがえる人の数は生きたままで天国に移される人よりずっと多いでしょう。 モーセやエリヤの生涯の話しを読んだら、各グループが経験する事が見えてくるかも知れません。


第7章 キリストは裏切られる

神様の息子に与えられるすべての事、その侮辱や残酷な行為を書き記し(天使たちが)、イエスが感じる苦しみを一つ残らず記録する。 なぜなら、それを与える人たちはその場面をもう一度、生きている文字で見なければならない事になっているからである。

「生きている文字」はどういう事かはっきり分からないけど、ビデオよりずっと臨場感に溢れてるでしょう!


第9章 キリストのはりつけ

イエスの死によって自分はいつか死んで、そして自分の国は取りあげられ、イエスに渡さなければならない事を悟った。

サタンの死は早く来て、この地球がイエスに渡されるように・・・


その上、できるだけ多くの人にイエスを受け入れさせないようにする事は自分のためにもなる。 なぜなら、イエスの血によって償われた人々は打ち勝ち、犯した罪は最終的に罪の創始者である悪魔に戻され、彼はそれらを負わなければならない。 しかし、イエスを通して救いを受け入れない人は自分の犯した罪を自分自身で負う事になる。

私たちを地獄に落とすのがサタンの益となるなら、必死に誘惑を作るのは当然ですよね。 この預言で聖所の意味を簡単に説明できる。 皆は罪人、でもイエスの血によって償われた人は自分で犯した罪の罰を免れる。 イエス・キリストを受け入れない人は自分で犯した罪の罰を受けなければならない。 イエスは十字架の上で大きな犠牲を払ってくれた。 そして今、天国の聖所で赦しを得た人の罪みなを悪魔に戻して、その人を清めてる。 すべての罪、ひどいものから軽いものまでの罰を誰かが必ず受けなければならない。 サタンが受けるか、人間が受けるか、その選択は人生の中で一番重要な選択ではないでしょうか。 救いはイエスを通すのみにある→仏、アラー、エホバなどじゃなくて、イエス・キリストだけにある。


しかし、イエスを軽蔑した者は、イエスが天国の壮大さとお父さんである神様の比類のない栄光に包まれる姿を見る時がくる。 裁判の場でイエスは自分の血を渇望していた敵に囲まれた。 無情にも、「その血の責任は、我々と我々の子孫の上にかかってもよい」と叫んだ者は、イエスの誉れ高い王様である姿を見る事になる。 天国にいる者は皆勝利と威厳と権力の歌を歌いながら、殺されたが、再び生きている力強い征服者であるイエス・キリストを護衛する事になる。 人間、弱く卑劣で、惨めな人間が栄光の王の顔につばをかけると、群集からその卑劣な侮辱に対する残忍な勝利の叫びがあがった。 その顔を残酷に殴り、傷を負わせ、天国にいる者を皆驚嘆させた。 しかし彼らはもう一度その顔を見る。 その時、真昼の太陽のようにまぶしく輝く顔から逃げたくなる。 彼らは残忍な勝利の叫びをあげるどころか、恐怖のあまり泣きわめく。 そしてイエスは、両手にあるはりつけの跡を見せる。 イエスの体にこの虐待の跡は永遠に残る。 釘跡の細部までも人間の救いの素晴らしさとその救いの高貴な代価を物語るようになる。 命の主の脇にやりを突き刺した人、まさにその人はやりの跡を見て、イエスの体を傷つけた役目を苦悶の中で深く嘆き悲しむ。 イエスを殺した人たちは、イエスの頭の上に掲げられた書、「ユダヤ人の王」に対して非常に腹を立てた。 しかし、その(イエスがやって来る)時、イエスが栄光と王の権力を持つ姿を見ざるを得ない上、イエスの服と太ももに生きる文字で書かれている、「王の王、主の主」を見る事になる。 イエスが十字架に掛けられた時に、「イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。 それを見たら信じよう」とイエスをバカにして叫んだ。 でもその時、王の権力と権威を持つキリストを見る。 見るとイエスはイスラエルの王様である証拠を要求しないで、イエスの威厳さや素晴らしい栄光を感じ、圧倒され、「主の名によってきたるものに、祝福あれ」と認めざるを得ない事になる。

イエスの体に残ってる虐待の跡は永遠に私たちの救いにどれほど犠牲を払ったかを物語る。 「イエスを殺害した者はイエスの2回目の現れを見る」と書いてない。 もしかしたら、3回目の現れ(1000年の後)にこの預言は実現するかも知れない。 ここに問題→イエスは自分を殺した者が赦されるようと祈ったのに、何で彼らは地獄に行くのかな?


第11章 キリストの昇天

あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」と言った。

イエス・キリストは雲に乗って帰って来る。


第18章 邪悪の奥義

こういう天国を挑発するような詐欺は、イエスが二度目に現れる時まで継続する事が許された。 しかし、過ちや詐欺が行なわれている間、神様には証人がいない時はない。

この「詐欺」とは、神様の聖なる休日を土曜日から日曜日に変えたという詐欺です。 イエス・キリストが戻って来るまで、ずっとこの詐欺は続かれる。


神様の戒めはいつまでも変わる事なく、新地球で永遠に存在する事は私に示された。

神様の戒めは変わる事のできないものばかりじゃなく、不滅なものです。 何で新地球でも戒めは必要なのかな?


人間が堕落する前に安息日はエデンの園で制定され、アダムとエバと天国の大勢の皆に守られていた。 神様は第七日目に休み、その日を祝福して聖別した。 安息日はいつまで経っても廃止されないで、償われた聖人たちや天使が皆大いなる造り主に敬意を表して、その安息日を永遠に守るという事を私は見た。

何で第7日(土曜日)がそんなに大事なのか分かりません。 でも人間と一緒に、堕落した事のない天使たちでさえ永遠に安息日を守るほど大事です。


第19章 死、永遠に惨めに生きるものではない

サタンはエデンの園で詐欺の働きを開始した。 エバに向かって、「あなたは決して死なない」と言った。 これはサタンが教える「霊魂の不滅」についての最初のレッスンだった。 彼はこの詐欺をその時代から今の時代まで続けてきて、そして神様の子供たちの監禁が覆される時まで続けていく。

「安息日を日曜日に変えた」という詐欺を先立って、「霊魂不滅」という詐欺が流行ってた。 現在でも流行ってる。


罪を犯す魂は永遠に死ぬ。 その死は永遠なもので、復活の望みはない。 それで神様の怒りは治まる。

神様が造った者の魂も造ったので、それを滅ぼす権利がある。 「神様の愛は無条件」と多くの牧師は言うけど、神様には怒る時もあります。 罪が無くなるまで怒る。 せっかく造った者が永遠の死を選ぶなら怒るでしょうね。


神様に創造された者が神様の統治に反乱する道を選んだが、神様は彼らを永遠に地獄での苦しみに封じ込めたりはしない、という事を私は見た。 潔白な聖なる者と会わせるなら彼らの悲惨な状態は極まるので、神様は彼らを天国に連れて行けない。 天国に連れて行かないし、永遠に苦しませる事をもしない。 神様が彼らを完全に滅ぼして、存在しなかったような状態にする時、自分の正義の要求が満たされる。 神様は人間をちりで形作った。 不従順な聖でない者は焼き尽くされ、再びちりに戻る。 神様の慈悲とあわれみはこういうものだから、皆がその性格を賞賛し、熱愛するべきである事を私は見た。 そして邪悪な者たちが地球から消されてから、天国の大勢は皆、「アーメン!」と言う。

地獄はよく言われてる「永遠と焼かれる」串焼きみたいなところではない。 肉体と魂とが共に焼かれ、灰となって、永遠に無となる。


第26章 もう一つの描写

同じく、聖人たちの昇るのをあざけったり、バカにしたりした人は神様からの災害に見舞われると、神様はただ者ではない事が分かってくるはず。

2003年3月現在、災害がまだ注がれてないので、これは生きたままで天国に行く望みを抱いてる144,000人がバカにされる事を言っています。


第27章 聖所

イエスが至聖所にいる間、新しいエルサレムと結婚するのを私は見た。 そして、至聖所での仕事を完成すると、王様の権力で地球に降りて来て、イエスの出現を忍耐強く待っている貴重な人たちを自分のところに連れて帰る事をも私は見た。

35章を参照


第28章 第三の天使のメッセージ

しかし、神様に仕えた「ウィリアム・ミラー」という貴重なちりは天使たちに見守られ、そして最後のラッパが鳴る時に彼は出て来る。

アドベンチスト教会の創始者・ウィリアム・ミラー・は天国に行く。 (^−^)


第29章 揺るぎない台

名ばかりのアドベンチストや堕落してしまった各教会の中に、神様の正直な子供たちがいる事を私は見た。 そして、災害が注がれる前に、牧師たちや一般の人はこれらの教会から呼び出され、真理を喜んで受け入れる事も私は見た。 サタンはこの事を知っているので、第三の天使の大きな叫びの前に真理を拒んだ人たちが、「神様は我々と共にいる」と思い込むように、このような宗教団体の間に大騒ぎを引き起こす。 正直な者を惑わして、「神様はまだ各教会のために働いている」と思わせるのがサタンの狙いである。 しかし、光は照らして、正直な者は皆、堕落してしまった各教会から出て来て、少数残っている人たちと一緒に立つ事になる。

☆ これはよく引用するところの一つです。 これを正しく理解したらSDAの間でも人気のある間違えから守られるでしょう。 1.多くの生ぬるいSDAは「教会員なら大丈夫だ」と言う。 リーダーたちが何をしようとしても留まっていれば天国に行けると思う人は少なくはない。 僕の叔母さんは「名前は教会の名簿に載ってるから救われる」とはっきり言った覚えがある。 しかしこの預言は、「これらの教会から呼び出され」と書かれてる。 2.現在「SDA=バビロン」と唱えてる人は間違ってる事がこの預言で分かる。 彼らはSDA教会に不正があるのを見て、悔い改めを求めないで、ただ「堕落した。 出ないと滅びるよ」と言ってる。 でもここにアドベンチストと「堕落してしまった各教会」とは意識して別々に扱われてる。 他のプロテスタント教会はみな1844年に堕落した。 SDA教会は悪い方向に走ってるけど、堕落したと言えません。


第30章 交霊術

私は、「たたき」という惑わしを見た。 サタンには、イエスにあって眠っている親戚や友達の姿を取る偽者を、私たちの前に現す力を持っている。 生きていた時の馴染みの言葉や話ぶりで私たちに聞かせ、本当に目の前にいるように見せ掛けてくる。 こういった事はすべて、この世の人をだまして、惑わせるためのわなである。

「たたき」はロックバンドとかお尻の事について言っていない:) 「降霊術の会」の事です。 19世紀アメリカで始まったやりかたは、参加者が皆テーブルを囲んで、いろな質問をする。 答えは「トントン」という音で分かる。 例えばトントン1回=YES、2回=NOとか。 もちろんこれは全部悪霊からの答えだった。


聖人たちは今の真理に精通して、それを聖書から弁明しなければならない時がくる事を私は見た。 彼らは、死んでいる人の状態を知る必要がある。 なぜなら、悪魔たちの霊はいつか愛する友達や親戚を装い、聖書に反する教えを主張しながら聖人たちに現れるからである。 その悪魔たちの霊は、主張する事を裏付けるために全力を尽くして奇跡を起したりして、同情心を引き起こそうとする。 死んでいる人は何も知らないし、それに、これらのものは「悪魔たちの霊だ」と神様の民は聖書の真理を持って、この霊たちに抵抗できる準備をしておかなければならない。

近い未来サタンの天使たちは私たちに現れ、死んだ人のふりをする。 私たちが聖書に精通にならないとだまされるくらいなら、この世の人はその奇跡などに見とれ、うのみしてしまうに違いない。 友達や家族の者に現れるやつは「悪魔の霊」と注意してあげる人はすごく嫌われるでしょう。


なぜ私たちは望みを抱いているのか、その理由を聖書で説明しなければならない時がくるので、その望みの基盤を徹底的に調べる必要がある事を私は見た。 それは、この迷いが広がるのを見て、いつか私たちはそれに面と向かって闘わなければならないからである。 用意しておかないと、私たちはわなにはまって落ちてしまう。 しかし、すぐやって来る闘いのためにできるだけの準備をするなら、神様は自分の役を果たして、全能の腕で私たちを守ってくれる。 忠実な者がサタンの不思議な偽りにだまされ、連れ行かれるよりは、栄光の中にいる天使を皆、彼らの防壁になるため送っても良いと神様は思っている。

もう既に死んでしまった愛した友達や家族の者が現れる事は、SDA信者の間であまり知られてないと思う。 聖書を徹底的に調べておくなら絶対大丈夫です。 神様の約束です。


この迷いが急速に広がっているのを私は見た。 電光石火の速さで走っている電車は私に示された。 あの天使が私に、「よく見て御覧」と言った。 そして私は、その電車をじっと見つめた。 人類は皆乗っているように見えた。 次に彼は、乗客が皆尊敬した立派な容貌をしている車掌を私に見せてくれた。 私は戸惑ったので、付き添いの天使に、「あの者は誰ですか」と聞いた。 すると彼は、「あれはサタンですよ。 彼は光の天使の外見をしている車掌で、この世の者をとりこにした。 彼らはうそを信じ、罰を受けるために強い迷いに引き渡されている。 サタンに次いで位の高い者は機関士で、そして他の部下はサタンの必要に応じて、いろんな仕事をやっている。 彼らは皆稲妻のように速く地獄の方に走っている」と答えてくれた。 そこで天使に、「残っている者はいないのですか」と尋ねる事にした。 「逆の方向を見てみなさい」と言われたので見ると、狭い小道を歩いている小さなグループが見えた。 彼らは皆、真理によって結ばれ、固く団結しているようだった。

新幹線が造られる100年前に幻の中で早い電車が示された。 この電車の終点はなんと地獄だ! サタンは素晴らしい者で、どんな人間よりも威厳があって、綺麗で立派です。 サタン側と神様側、つまり悪と善は180°違う。 狭い小道を歩くより早い電車に乗る方がずっと楽だけど、目的地は天国だったら苦労しないといけない。 不思議な事に、全世界にどこに行っても、真理を大事にするSDAの信者と意見がぴったり合う!


この小さなグループの人たちは厳しい試練や闘いを経たようで、顔がやつれていた。 ちょうどその時、太陽は雲の後ろから現れ、彼らの顔を照らしたので、その顔付きが勝利をもうほとんど収めているように見えた。

もうすぐ勝利だ!


主が全人類にそのわなを見つけるチャンスを与えた事を私は見た。 クリスチャンにとって、他に証明するものがなくても、これ一つだけで十分な証明になる→それは、卑劣なものと貴重なものとの区別をしない事である。

サタンの電車に乗らないためどうしたら良いのか、あまり知られてない。 聖なる物と俗な物、つまり、善と悪とをはっきり区別すべきです。


体がもう既にちりに戻ったトマス・ペインは、あの1,000年の後、第二の復活の時に報いを得るため呼び出され、そして、第二の死を味わう。 「彼は天国に居て、とても賞賛されている」とサタンは言う。 サタンは地上で彼をできるだけ長く利用した。 トマス・ペインが地上で教えていたように、彼が今、天国で同じような事を教えている上、賞賛されている、とサタンは見せ掛けている。 彼の生涯と死、それに生きている間の曲がった教えでぞっとしていた人のうちには、神様と神様の法律を嫌った一番堕落した卑劣な人物の一人であった、トマス・ペインに今、教えられるのを許す人もいる。

この段落を赤にした方が良いか、どう説明したら良いのか、ちょっと迷ってしまう。 トマス・ペインはイギリス生まれの思想家で、聖書と宗教に対してひどい事を書いた人です。 どうも終わりの時に彼が現れ(もちろんこれはサタン側の天使)、多くの人を惑わすらしい。


偽りの父は自分の天使たちを、使徒たちの代弁者として送り、世の人を盲目にさせ、惑わす。 彼らは、使徒たちが地上に生きた間、聖霊に口述されて書いた内容と矛盾する事を言っているように見せ掛ける。 使徒たちが自分の教えを曲げ、元々の本当の教えは純粋なものであった、とこのうそつきの天使たちは見せ掛ける。 こうしてサタンは、「生きている」という名前を持っても、本当は死んでいるクリスチャンたちやこの世の者を皆に、神様の言葉に対して疑わしい思いを引き起こす事ができる。 その言葉によってサタンの進路は妨げられ、そして彼の計画はだめになる可能性が高い。 だから彼らに、聖書の神聖の起源に対して疑わしい思いを引き起こす。 その上、不信心者トマス・ペインを立たせ、彼が死んだ時に天国に案内され、地上で大嫌いだった聖なる使徒たちに加わって、世の者に教えているように見せ掛ける。

☆ この本の中で、一番SDAの間で論争の種となるところはここです。 この「口述された」というところを見せると反発される人が多い。 見せただけで、ある信者は「あなたはエレン・ホワイトを信じないのか」とか、「あなたはこれを信じるなら自分はSDAと呼ばれない」とか言われた事があります。 でも僕が書いたと違う。 エレン・ホワイト本人が書いた。 確かに、「エレン・ホワイト」という名前が表紙に書いてある本(1888年の本など)にこれと正反対の事が書かれています。 皆それぞれ研究すべきだと思うけど、僕の結論は→後の本はエレン・ホワイトを信じなかった人に編集されたので、不純物が混ざってると思います。 とにかく、神様が考えだけを与え、人間が自分好き勝手な言葉を選んで聖書を書いたわけじゃない。 単語一つ一つが聖霊から出て、人間がそれらを忠実に書き留めた。 元々エレン・ホワイトもそうだった。 これを堅く信じたら、エレン・ホワイトの本を信じると口で言いながら、自分が彼女の歴史的な間違えなどを直してあげたい神学者たちのわなに掛からない。 聖書は口述された。


サタンは自分の天使をそれぞれ配役する。 悪賢く、巧妙に、こっそりと行動するよう、彼らに命じる。 ある堕天使は使徒の役を演じ、代弁者となると同時に、他の堕天使は、死んだ時に神をのろったが、改心したように見える元不信心者や悪人の役を演じるよう、とサタンの指示を受ける。 一番聖なる使徒と一番卑劣な不信心者とのけじめをつけない。 両方とも同じ事を教えているように見せ掛ける。 サタンにとって、自分の目的を達成するのなら、誰を話させようか気にしない。 トマス・ペインは生きている間よくサタンを手伝った。 あまりにも彼と親密な関係を持っていたのでサタンは、自分に忠実に仕え、自分の目的を上手に果たしてくれた敬虔な子供の筆跡や言葉遣いなどを簡単に知る事ができる。 彼が書いたものの多くはサタンに口述されたので、今、サタンがいろんな考えを自分の天使たちに口述して、それを生きている間サタンに献身的に仕えたトマス・ペインから出ているように見せ掛けるのは簡単である。 これこそサタンの傑作である。 「死んだ使徒、聖人や悪人の教え」と言われているものはすべて、直接、悪魔大王様から出ている。

この30章にあまり知られてない預言がぎっしり詰まってる。 この段落でサタンの天使の何人かは使徒の役を演じながら、他の堕天使は死んだ悪い人を演じる事が分かる。 こういう超自然的な事は実際目で見える形で実現します。 「演じる」という言葉は本物を思わせるような偽者です。 たとえば、映画に出る人はたいてい本物じゃなく、俳優です。 同じように私たちの前に出る(あるいはテレビに出る)者は実際死んだペテロ、ヨハネ、パウロ、釈迦様、マホメット、ヒトラー、ナポレオンなどと違って、サタンの天使になります。 彼らは想像通りの格好をして、素晴らしい事を言う。 核戦争を平和的に解決するかも知れない。 「こういう者はサタンのうそつきの天使ですよ」と同僚に言える勇気がありますか。 そこまで詳しく真理を知って、堅く信仰が守られると思いますか。 最後に、サタン本人はイエス・キリストの真似をして、自分は神様である演技をする。 これを批判する私たちは「テロのやつらだ」という目で見られるでしょう。


サタンをあんなに愛した者、その者が神様を完全に嫌っていても、聖なる使徒たちや天使たちと一緒に栄光の中に居る、という見せ掛けだけで、まだ理解できない人は誰であれ、サタンの暗やみに包まれている不思議な働きを見出す事ができるだろう。 つまり、サタンはこの世の人や不信心者に、「いくら悪くても、神様や聖書を信じても信じなくても、天国はあなたの住まいになる。 好きに生きても良い」と言わんばかりしている。 トマス・ペインみたいな者が天国であんなに賞賛されているなら、誰でも行ける、と皆は知っている。 これはあまりにも明白だから、誰でも理解したいならできる。 サタンはトマス・ペインのような人を通して、堕落してからやろうとしてきた事を今やっている。 自分の力と不思議な偽りでクリスチャンたちの希望の基盤を壊し、それに天国に至る狭い小道を照らす太陽を消そうとしている。 「聖書には神様の霊感が入っていない、ただの小説だ」とサタンはこの世の人に信じ込ませながら、代わりに提案するものは→霊的なしるしだ!

「善と悪の区別をしない、神様の愛は無条件だから皆天国に行くよ」とサタンは言う。 「一度神様が見えたら信じる」とよく耳にするけど、この時にサタンはその願望を叶えてあげる。


こういう種類のものを独占しているので、サタンはこの世の人を操って、好きなだけ物事を信じさせる事ができる。 自分と自分の支持者たちを裁く本を喜んで日陰に隠して、そしてこの世の救い主を普通の人と見せ掛ける。 イエスの墓を見張っていたローマの番人たちが祭司長たちや長老たちに言わせられた偽りの情報、そのうそを広めたように、この偽りの霊的なしるしに従う可愛いそうな迷っている人たちは、私たちの救い主の誕生、死、と復活を真似て、「あれは別に奇跡的ではない」と見せ掛ける。 そして喜んで、イエスを聖書と共に目立たないようにする。 それから、自分と自分の不思議な偽りや奇跡の方にこの世の人の関心を引き、「これらはキリストがやっていた事よりずっと素晴らしい!」と断言する。 こうしてこの世の人はわなに掛かり、安心だと思い込んでしまい、その最後の七つの災害が注がれるまで自分たちはだまされた事の重大さを悟らない。 サタンは、自分の計画が大成功を収め、世の人が皆わなに掛かっているのを見て、笑う。

☆ この30章はすごい! 僕は三世のSDA信者なんだけど、この預言に触れる話を一回も聞いた事がない。 イエス・キリストの生まれと死と蘇りは真似られる!!! その真似はばれるようなものじゃない。 警戒心の強い無神論者でもだまされるほど出来がすごく上手らしい。 世の人が皆だまされる。 だまされない者は死者の本当の状態を知って、これらの超自然的なものはサタンからの演技だと信じる者だけが守られる。 なんでこの預言を伝えてないのかな?


第31章 貪欲

サタンと彼の天使たちが協議しているところを私は見た。 「特に神様の戒めをみな守り、キリストの二回目の現れを期待している人たちにわなを仕掛けよう」とサタンが自分の天使たちに勧めた。 サタンは彼らに言った、「教会はみな眠っている。 私の力や偽りの不思議をもっと発揮するから、とりこのままにしておける。 しかし、安息日を守っている宗派が大嫌いだ。 いつも私たちに不利に働いて、神様の憎い法律を守るために我々の支配下の者を奪っている。

サタンに嫌われてる人は安息日を守ってる人だけって、知っていますか。


さぁ、行って、お金や土地を持つ人を心配事で酔わせよう。 こうした物事に心が奪われるようになれば、君たちの仕事は成功して、そして彼らはいずれ我々の物になる。 彼らが好きなように自分は何様だ、と言っても構わない。 ただ私たちが嫌いな真理の広がりやキリストの国の成功より、お金の方がもっと大事だと思わせよう。 彼らがこの世を愛し、偶像化するため、この世の一番魅力的な面を見せよう。 資産をできるだけこちら側に収めるべきだ。 彼らに資産が増えるほど私たちの国の傷は大きくなり、支配下の者は奪われる。 彼らが各地で礼拝会を開く時は危ないので、特にその時に油断するな。 できるだけ気を散らさせ、互いの愛をぶち壊させよう。 彼らの牧師たちが大嫌いだから、がっかりさせ、落胆させよう。 できるだけ多くのもっともらしい理由を示して、資産を持つ者がそれを配らないようにさせよう。 お金をコントロールできれば牧師たちを金銭的に困らせ、悩ませる。 これで彼らは気を落として、熱心ぶりが冷める。 闘え、一歩も譲るな。 彼らの性格を貪欲にし、この世の宝物に対する執着心が優勢になるように努めよう。 性格がこれらのものに左右される限り、救いや恵みは後ずさりする。 彼らの周りに注意を引くような物をできるだけたくさん押し付ければ、絶対に彼らは我々の物になる。 我々の物になるだけではなく、彼らの嫌な影響力は他人を天国に導くのに向かない。 寄付しようとする人にけちな気持ちを植え付けて、金額を抑えさせよう。」

真理を愛してるけど、それより教会や家族やお金(仕事)などの方が大事と思ってるSDAは多い。 そこで真理を一番にする人と意見が合わないで、お互いに愛し合わない。 まさにサタンの思うつぼ:(


サタンが自分の計画をうまく実行した事を私は見た。 神様に仕えている人たちが集会を開くと、サタンと彼の天使たちは彼らのやる事を知っていたので、その集会の場に居て、神様の働きを妨げようとした。 更に、サタンは常に神様の民にいろんな事を暗示して、考えさせようと努めていた。 ある人をある方向に導き、別の人を別の方向に導く。 サタンはいつも「兄弟姉妹」の性格の悪いところに付け込んで、彼らの本来の弱点を刺激する。 彼らに元々欲張りやわがままな傾向があるなら、サタンは喜んで脇に立ち、彼らの陥りやすい罪がその姿を現すように全力を尽くす。 これらの欲張りやわがままな思いが神様の恵みや真理の光によって和らいできても、完全に打ち勝たないと、救いの影響を受けていない時にサタンは入ってきて、すべての生涯の指針である高貴な寛大なところを薄れさせる。 そうすると求められている事が多過ぎると彼らは思って、善い行ないをするのに疲れ、絶望的な苦悩とサタンの力から受け戻すためにイエスが大きな犠牲を払ってくれた事を完全に忘れてしまう。

ここの面白いところは「救いの影響を受けていない時」です。 「私は救われてる」と言えないですね。 多くの教会ではイエス・キリストを受け入れたらどんな事があろうと救われてると教えるけど、違います。 サタンは常に私たちを陥れようとしてる。


サタンは、ユダの欲張りやわがままな性質に付け込み、マリヤがイエスにささげた軟こうに対してぶつぶつ言うように導いた。 ユダにとって、これは本当にもったいない事だった。 軟こうを売ったら、その代金を貧乏な人にあげられるのに。 でも彼は貧乏な人の事を気に掛けないで、ただイエスに進んでささげられた物はぜいたくだと思っただけであった。 自分の主の価値を、何枚かの銀貨で売れる程度しか評価しなかった。 「私の主を待っている」と言っている人の中に、ユダのような人がいる事を私は見た。 サタンにコントロールされても、彼らはそれに気付かない。 神様は、ほんの少しでもの欲張りやわがままなところを賞賛できない。 それらを憎み、その気持ちを持っている人の祈りや勧めをも嫌う。 自分の時間が短いと分かってくるサタンは、彼らをもっと欲張りで、もっとわがままになる方向に導く。 そして彼らが自分の事ばかり考えて、わがままやけちになっていく様子を見ているサタンは大変喜ぶ。 もし彼らの目が開かれたら、自分たちに対して地獄的に勝ち誇って喜んでいるサタンが見えるようになる。 それに、サタンの勧めを愚かにも受け入れたり、わなに掛かったりしてしまった事でサタンが笑っている様子も見えるようになる。 サタンと彼の天使たちはその人たちのけちで欲張りな行動をイエスと聖なる天使たちに示して、「彼らはキリストに従っている! 死なないで天国に移るための準備をしている!」と非難する。 サタンは、彼らの逸脱した行動を書き留め、それらをはっきりと責めている聖句と比べてから天国の天使たちを困らせるために見せ、「この人たちはキリストとキリストの言葉に従っている! 彼らはキリストの償いや犠牲の成果だ!」とぶつけてやる。 天使たちはうんざりして、その光景から目を逸らす。 神様は常に自分の民に善を行なうよう求めている。 気前のいい、善い事を行なうのに飽きてくると、神様も彼らに飽きてしまう。 「神様の民」と言われている人のためにイエスは自分の貴い命を惜しまずささげたので、その人に一片のわがままなところが現れたら、神様は大変不愉快になるのを私は見た。 欲張りで、わがままな人は皆、途中で道から逸れる。 自分の主を売ったユダのように、この世のわずかな益を手に入れようとするうちに生涯の指針の善いところや高貴で寛大な性質を売ってしまう。 こういう人は皆神様の民からふるい分けられる。 天国を手に入れたいなら、精一杯に天国の本質を育てなければならない。 そして、彼らの魂はわがままな事で薄れていくより、むしろ慈善で膨らむべきである。 互いに善い事をする機会を利用して、もっと天国の本質に近い状態に成長する必要がある。 イエスは完璧な模範である事が私に示された。 イエスの人生にわがままなところがなく、公平無私な慈善が特徴であった。

善を行なわないと神様に飽きられる。 神様に飽きられたくないですね! 善い事をする事で天国の様子を地上でちょっと体験できます:)


第32章 ふるい分け

ある人たちが強い信仰を持って、苦しそうに叫びながら神様に懇願しているのを私は見た。 心中の闘いが彼らの大変不安そうな青ざめた表情に表れていた。 堅固さや真剣さも表情に表れ、そして額に大粒の汗が出て落ち続けた。 時々彼らの顔は神様に賞賛されているしるしとして明るくなってきたが、また前と同じようなまじめで、真剣な心配そうに見える顔付きに戻った。

この章全体としてはあまり我々SDAの間で知られてない。 まさに今の状況、今預言の流れにどこに居るのかを説明しています。 イエスがゲツセマネの園で経験した事を私たちも経験する。


悪天使たちはその人たちの周りに群がって、イエスが見えないように自分の暗やみを押し付けようとした。 彼らが囲まれている暗やみの方に視線を向けて神様を疑い、ついに神様に対して不満をつぶやくに至るのが悪天使たちの狙いだった。 安全な道は視線を上の方に向け続けるしかない。 神様の民の世話をしている天使たちは、悪天使たちから出た有害な空気がこの不安だった人たちに押し寄せられると、翼を絶えずはばたき、周りの濃い暗やみを散らし続けていた。

安全な道はイエス・キリストを見つめるしかない。


でもある人たちが、この苦しそうな叫びや懇願の運動に参加しなかった事を私は見た。 彼らは無関心のようで、注意を払っているように見えなかった。 周りの暗やみに抵抗していなかったので、彼らは濃い雲に取り囲まれてしまった。 すると神様の天使たちは彼らから離れ、祈りをしている真剣な人たちを手伝いに行った。 全力で悪天使たちに抵抗して、自分を助けるためにたゆまず神様を頼んでいる人たちを、天使たちがすぐ助けに行ったのを私は見た。 しかし、天使たちが自分を助けようとしなかった人たちから離れて行ったので、私はそういう人たちを見なくなってしまった。

多くの牧師、SDAの牧師を含めて、「自分の救いには何もできない」と言うけど、全力で自分を助けようとする人だけが守られ、救われる。 もちろんイエス・キリストの救いは恵みによるしかない。 イエス・キリストを受け入れる人は全力で悪に立ち向かう。 頑張らないと恵みを失ってしまう。


こう祈っている人たちは真剣に声を出し続けると、時々イエスからの光線に当たった。 当たると彼らは元気付けられ、表情が明るくなってきた。

(^v^)


私が見たふるい分けとはどういう事なのか、尋ねる事にした。 すると、これはラオデキア人への真証人の勧告による真っすぐな証しで起こる事である、と私に示された。 この真っすぐな証しは受け入れる人の心に影響を与え、その人が(神様の)基準を高め、真っすぐな真理を惜しまず伝えるように導く。 でもある人たちはこの真っすぐな証しには我慢できない。 彼らが真っすぐな証しに対立するので神様の民はふるい分けられる。

☆ これはこの本でよく引用する最後の箇所。 単語その物はSDAの信者の間で知られてるけど、その意味をもっと考える必要があると思います。 早い段階で、1852年にアドベンチストは聖霊によって、「ラオデキア」と呼ばれていた。 我々がずっとそのままに留まってる事は周知の事実です。 真証人は誰に話してるんですか。 堕落してしまった教会? バビロン? 違う。 唯一堕落してない教会に話してる→SDA。 神様はこの教会を愛してるので悔い改めを呼び掛けています。 ラオデキアはサタンの教会じゃなく、神様の教会です。 ひどい状態に陥ってるけど、まだ神様の教会です。 ふるい分けを引き起こすものは何ですか。 日曜日休業令ではない。 いや、多くのSDAは「日曜日礼拝が義務付けになってから100%神様に従う」と心の中で考えてるらしいけど、その時点ではもう遅い。 真っすぐな証しでふるい分けは起こる。 いろんな真っすぐな証し(健康改革、服装、安息日など)を知りながら自分の行動を神様の基準に合わせようとしない人が多い。 神様の基準に合わせるより、お互いに比較した方が楽です。 これによってだんだん基準が引き下げられてる。 なのに、まだ「我々SDAは素晴らしい働きをしてるんじゃないか」と自分の裸、盲目、貧弱な状態に気付いてない。 一つ注目して欲しいところは→「落ちる人は皆教会から出て、良い人は残る」と書いてません。


真証人の証しの半分も受け入れられていない事を私は見た。 教会の興亡が掛かっている厳粛な証しは軽視され、ほとんど無視されてきた。 この証しは心からの悔い改めを引き起こさなければならない。 そして本当に受け入れる人は皆、それを守って、清められる。

エレン・ホワイトの本は「証しの書」と言われてる事は偶然? もちろん真証人はイエス・キリストです。 でもイエス・キリストがエレン・ホワイトに与えた言葉はほとんど無視されてきた証しです。


あの天使が私に、「聞いて御覧なさい!」と言った。 するとすぐ、たくさんの楽器の音色が美しく調和しているような声が聞こえた。 私が今まで聞いた事のある音楽の中でこれは一番優れていた。 慈悲や同情、それに心を高める聖なる喜びで満ちていて、全身に響き渡った。 あの天使が私に、「見て御覧なさい!」と言った。 そこで私の注意は、先ほど激しくふるい分けられていた団体の方に向けられた。 先ほど泣いたり、霊の苦しみを感じながら祈ったりしていた人たちの事は再び私に示された。 その周りに護衛する天使の数が倍になった事と、彼らが頭から足までよろいかぶとに身を固めていた事を私は見た。 彼らは揺るぎなく、軍団のように隊形をきちんと保ちながら行進した。 その表情には耐えてきた接戦の跡や通ってきたきつい苦労が表れていた。 しかし、心中の苦悶が顔に表れても、今やその表情は天国の明かりや栄光で光っている。 彼らは勝利を得たので、深い感謝の気持ちや聖なる喜びがわいてきた。

私たちが神様の基準を目指して、まっすぐな証しを受け入れ、実行したら、真理の上で完璧な調和で団結します。 聖霊は神様じゃないとか間違った教えが氾濫してる現在、彼らの間に調和や一致がない事によって神様は彼らの中に居ない事が分かる。


この団体に属する者の数が減ってきた。 何人かがふるい分けられ、道の脇に取り残されてしまった。 勝利と救いを得るために我慢強く苦労して、懇願する人たちに加わらず、無関心で注意を払わなかった人たちは暗やみに残され、勝利と救いを手に入れなかった。 すると直ちに真理を大事にする人たちが列に加わり、取り残された人の穴を埋めた。 悪天使たちは彼らの周りに押し寄せ続けたが、影響を与える事ができなかった。

救いを得るために「我慢強く苦労し、懇願する必要がある」と聞いた事がありますか。 普通は「イエス・キリストは既に私たちの救いを完成したから、それをただ受け入れるだけだ」というふうに教えられてる。 恵みによって私たちの名前が命の書に書かれるけど、罪を克服するための苦労を惜しむなら必ず暗やみに落ち、救いの失格者となる。


よろいかぶとを身に着けた人たちが非常に力強く真理を伝えるのを私は聞いた。 それには影響力があった。 妻たちが主人に縛られていても、子供たちが両親に縛られていても、真理を聞くのが許されなかった正直な人たちは今、熱心にその真理を聞き入れ、自分の物にした事を私は見た。 自分の親戚に対する恐れが全部なくなった。 真理だけが大事となって、それは生命よりも貴重で貴いものだった。 彼らは真理に飢え、渇望していた。 「なぜこんなに変わってきたのですか」と私が尋ねると、天使のひとりが、「これは後の雨だ。 これこそ主の居るところから出る元気を付けるもので、第三の天使の大きな叫びである」と答えてくれた。

この段落に分かりにくい言葉の意義が書かれています。 多くの人が本を出して、後の雨とか大きな叫びはどうのこうのと説明するけど、ここに分かりやすく書かれてる。 「後の雨」と「大きな叫び」と「主の居るところから出る元気」は同じものです! 真理は自分の命より大事ですか。


この選別された人たちには大きな力があった。 あの天使が私に、「見て御覧なさい!」と言った。 そこで悪い人たちや不信者たちの方に注意を向けた。 彼らはざわめいていた。 なぜなら、神様の民にあった熱心さや力に対して彼らが刺激され、激怒したからである。 混乱、混乱、四方八方に混乱があった。 神様の光と力を持つ人たちに対する措置が講じられたのを私は見た。 周りの暗やみが一段と濃くなってきても、彼らは神様に賞賛され、そこに立って信頼し続けた。 彼らが戸惑っている様子を私は見た。 次に、神様に熱心に助けを求める叫び声が聞こえた。 昼夜を通して彼らが叫び続けた。 「神様、あなたの心が行なわれるように! あなたの名前に栄光を帰す事ができるなら、どうかあなたの民のために逃げ道を作って下さい! 私たちの周りの異教徒たちから救って下さい! 彼らは私たちを死に定めているが、あなたの腕が私たちを救う事ができる」と彼らが言ったのを私は聞いた。 私が聞いた言葉の中で、これしか思い出せない。 彼らは自分の価値の無さを深く感じたようで、神様の心にすべて委ねている事を表した。 しかし皆、一人残らず、熱心に懇願して、ヤコブのように救助のために苦労していた。

私たちの企画で大きな叫びは始まらない。 大きな叫びはあちこちバプテスマが多い南米とかアフリカだけで起こる物ではない。 大きな叫びは同時に全世界に今までキリスト教の歴史上一番力強く伝えられるメッセージです。 それを抑えようとする法律が作られる前に大きな叫びは広まる。 日曜日休業令が発せられてから熱心になって、真理を家族や仕事より大事にしようと考えてるなら、ふるい分けられる。


彼らが熱心に叫び始めると天使たちは同情して、すぐにも助けに行こうとしたが、背の高い指揮官の天使のひとりがそれを許さなかった。 彼が、「神様の心にかなう事はまだ成し遂げられていない。 彼らはあの杯から飲まないといけないし、あのバプテスマでバプテスマを受けなければならない」と言った。

イエス・キリストが通ってきた苦しみを味わわないと天国に行く準備ができない。 心を完全にこの世の物から切り離さなければならない。


すぐに、私は天と地を揺るがす神様の声が聞こえた。 そして大地震が起こった。 建物は四方八方に揺り倒された。 その時、強い音楽のような澄んだ勝どきが上がるのを私は聞いた。 つい先程まであんなに苦しんで、縛られていた団体を私は見渡した。 彼らは束縛から解放され、素晴らしい光を浴びていた。 その時、彼らはどれほど美しく見えたか! 疲れや心配の跡は全部消えて、皆の表情に健康と美しさが見えた。 そして彼らの敵、その周りにあった異教徒たちは死んだように倒れた。 彼らは聖なる解放された人たちに当たった光に耐える事ができなかった。 天の雲の中にいるイエスが見えるまで、この栄光と光は試練を通ってきた忠実な団体の上にそのままとどまった。 そこで彼らは直ちに、瞬く間に、栄光から栄光へと移された。 墓が開かれると、不死をまとった聖人たちは死と墓に対して勝どきを上げながら出て来た。 そして栄光と深みのある音楽のような勝利の叫びがすべての不死の舌、すべての聖化された聖なる口から出ながら、彼らは自分の主に会うために生きている聖人たちと一緒に空の方に引き上げられた。

この32章は現在進行中のふるい分けからイエス・キリストの雲に乗るまでの事が簡潔書かれて、未来の出来事が凝縮されています。 37章までこの期間に起こる出来事はより詳しく描かれています。


第33章 バビロンの罪

私は、「各教会が堕落した」と第二の天使が告げた時から、それらの教会の状態を見た。 彼らの堕落ぶりはひどくなってきているのに、まだ、「キリストの信者」という名前を持っている。 この世の人と彼らと区別するのはまったく不可能である。 その牧師たちは神様の言葉を引用するが、口先だけのうまい話を説いている。 生まれ付きの心はこれに反対しない。 そういう心は真理の精神と力、それにキリストによる救いだけを嫌う。 一般の人気のある牧師の話にはサタンを怒らせたり、罪人を震わせたり、迫り来る恐ろしい裁きの事実に心と良心を向けさせたりするところはない。 だいたい、悪い人たちは真の信心の事より、その形式を持つ宗教を好んで、それを手伝って支持する。 あの天使が、「暗やみの支配者たちに勝利を収め、継続するには義のよろいかぶとに身を固めるしかない」と言った。 サタンは各教会を丸ごと自分の物にしている。 神様の言葉のはっきりとした鋭い真理よりも、人間の言行が注目されている。 あの天使が、「世の友情と心は神様に敵対している」と言った。 イエスにある力のある質素な真理が世の精神に当たると、たちまち迫害心は呼び起こされる。 多く、本当に多くの「クリスチャン」と呼ばれている人は神様を知った事がない。 心の性質は変わっていないし、俗の考えもまだ神様に敵対している。 彼らは別の名前を取ったにもかかわらず、忠実にサタンに仕えている。

この段落を見せてから僕の籍のあるSDA教会の牧師が、「多くの教会員はこの本が嫌いですよ」と言ってた。 その前に僕が「SDA教会が僕を事実上クビにしたけど、(ホームレスを教会に連れて来たので)神様はSDA教会をまだ愛してる。 日曜日教会に神様を一番大事にして、真理を求めてる人が点在してるけど、教会として彼らはみなサタンの支配下にある。 私たちは日曜日教会のようにサタンの支配下にない」と言った。 それに対して牧師は「日曜日教会は我々の兄弟姉妹です。 これはSDA教団の正式な立場ですよ」と言ってた。 僕が調べてもまだ裏付けるような書類が見付かってないけど、この「サタンは各教会を丸ごと自分の物にしている」ところを見せると多くの教会員に「裁いてる、愛がない、狂信的」などと言われる。


イエスが天国の聖所の聖なる部屋を出て、二番目の幕を通って向こうに入ってから、各教会はユダヤ人のように残され、「あらゆる汚された憎むべき鳥」でいっぱいになってきているのを私は見た。 非常に重大な不正やひどい邪悪が各教会にあるのに、彼らがまだ、「クリスチャンだ」と自称している事をも見た。 彼らの言う事、祈りや勧める事が神様の目には忌まわしいものと見なされている。 あの天使が、「彼らの集会で神様は香りをかがない」と言った。 良心の呵責を感じない彼らは、詐欺を働いたり、うそをついたり、利己的な事をしたりする。 そして、これらの質の悪いところに「宗教」という覆いを被せる。 口先ばかりの各教会の高慢さは私に示された。 彼らの俗な考えには神様の事がなく、むしろ自分の事でいっぱいになっている。 哀れな、いずれ死ぬ体を飾って、満足そうに快く自分を眺める。 イエスと天使たちは怒りの目で彼らを眺めた。 あの天使が、「彼らの罪と高慢は天国に届いている」と言った。 彼らの受ける分は用意されている。 正義と裁きは長く眠ってきたが、もうすぐ目覚める。 「復しゅうは私のする事である。 私自身が報復する」と主は言う。 第三の天使の恐ろしい警告が成就される。 そして彼らは神様の怒りを飲む事になる。 数え切れないほどの悪天使は全地に広がっている。 各教会や各宗教団体はこの悪天使たちでいっぱいになっている。 そこで悪天使たちは大変喜んでこれらの宗教団体を見る。 それは、「宗教」という覆いが重大な不正や犯罪を隠しているからである。

聖書以外にキリスト教と言われてる教会がこんな強い表現で非難される例は他にないと思います。 彼らはユダヤ人みたいになってしまって、祈りまでも「神様の目には忌まわしいものと見なされている」。 熱心に彼らが出るよう、呼び掛ける必要を感じますか。 彼らはもちろん、SDAの信者でも、このメッセージに反発する。


神様によって造られたもの・人間・が一番低い位に落とされ、けだもの同然の扱いを同胞の人間にされる様子を見て、天国にいる者は皆憤慨する。 人間の災いを目撃するたびに心を痛めた、その愛しい救い主に「従っている」と自称する人は、奴隷や人間の魂の売買という極めて重大な罪に快く加わってしまう。 天使たちはその一切を記録して、あの本に残した。 信心深い男奴隷、女奴隷、その父、母、子供、兄弟や姉妹の涙はみな天国に詰めてある。 苦悶、人間の苦悶はあちこち運ばれ、売買されている。 神様は抑えている怒りをもうすぐ発する。 自分の怒りはこの国に対して、そして特にこのひどい取引を認めたばかりではなく、自ら進んで参加した宗教団体に対して燃えている。 こんなひどい不正や圧制、苦しみなどを目撃しても、「腰の低いおとなしいイエスに従っている」と自称する人の多くは無情にも、気にしない。 そのうちの多くは、こんな言い表せないほどの苦しみを憎しみいっぱいで自分自身で与え、満足しながら、ずうずうしくも神様を礼拝する。 これはサタンが大変喜ぶ厳粛なあざけりである。 彼はこの矛盾を持ち出して、地獄的に意気揚々とイエスとイエスの天使たちを非難して、「キリストに従っているのは、こんなやつらだ!」と言う。

この本の中でこれは一番理解しにくいところの一つです。 1858年のアメリカには奴隷制度があった。 でも2003年にはない。 何回読んでもこの段落を昔の歴史、1860年のアメリカの南北戦争に当ててきたけど、どうもそうではないみたい。 次の段落を読めばもう少し理解できると思います。


これらの「クリスチャン」と呼ばれる人たちが殉教者の苦しみの話を読むと、頬には涙がつたう。 「人間が、同じ人間である者に対してそんなに無慈悲にも冷酷な事ができるなんて」と彼らは不思議そうに考えながら、同胞の人間を奴隷にする。 そればかりではない。 自然の絆を切って、日ごとに同胞の人間を冷酷に抑圧する。 彼らが与える絶え間ない無慈悲な拷問は、異教徒やカトリック教徒たちがキリストの信者に与えた残忍な行為に匹敵する。 あの天使が、「神様の判決が実施される日に、異教徒やカトリック教徒たちの刑罰はこういう人たちの受ける分ほどひどくはない」と言った。 圧迫されている者の苦しみや叫びはもう既に天国に届いている。 人間が自分の創造者の形に造られているのに、その同胞の人間を言い表せないほどの冷酷なひどい苦しみに会わせる事に対して天使たちはあっけに取られる。 あの天使が、「こういう人たちの名前は血で書かれ、その上に取り消し線が引かれ、そして燃えるような悲痛の涙であふれている。 神様が光を持つ国に自分の激怒を飲み尽くさせ、そしてバビロンに倍の報復を与えるまで、その怒りは止まらない。 『彼女が支払ったものをそのまま彼女に返し、彼女の行ないに応じて二倍にして戻しなさい。 彼女が混ぜ合わせた杯の中には、彼女のために二倍の量を混ぜ合わせなさい』」と命じた。

「バビロンに倍の報復を与え」。 これは黙示録18:6を引用しています。 ちょっと待って。 黙示録18章は大きな叫びの時に告げられるでしょう? その大きな叫びは2003年現在まだ始まってないよね。 この預言はよく聖書に出る二重の預言のようです。 エルサレムの破壊を預言したイエスは、その事より、世の終わりの時代の事を預言したと同じように、この「バビロンに倍の報復を与え」という預言も二重だと思います。 19世紀のアメリカがひどい制度、奴隷を売買する制度を持っていたので南北戦争で神様の怒りを飲んだ。 でも黙示録18章に出るバビロンは明らかに1860年のアメリカと違う。 これは全人類を支配する宗教と政治が合体した団体→「獣」です。 これに従わないと物を買ったり売ったりする事は許されない。 結論は、イエス・キリストが帰って来る時に奴隷は居るらしい。 これは有り得る? 常識と聖書に反してるんじゃない? いいえ、不思議にマッチしています。 同じ18章の13節にこの団体は「奴隷」という商品を売買してると書いてあります。 世の終わり頃にヨハネは奴隷を見たし、エレン・ホワイトも見ました。 信じ難いかも知れないけど、必ず起こります。 どんな形で起こるか分からないけど、電気が通らなくなったら、電子レーンジやらコンピュータ、暖房、水道などの代わりにやってくれる奴隷の需要が生じる事を十分考えられます。


無知のままにさせておいた奴隷の魂の責任は主人にある事を私は見た。 その奴隷が犯す罪はみな主人に科せられる。 神様と聖書について何も知らないで、ただ主人のむちだけを恐れ、主人の畜生さえより位が低く、無知のままに置かれてきた奴隷を神様は天国に連れて行く事ができない。 でも哀れみ深い神様はその奴隷に一番いい事をしてあげる。 そういう奴隷は存在しなかった扱いを受けるに対して、その主人は最後の七つの災害の苦しみを受けなければならない上、第二の復活によみがえって、第二のすさまじい死を味わわなければならない。 それで神様の怒りはなだめられる。

日本人として多分誰よりもエレン・ホワイトの本を研究した事がある人が、エレン・ホワイトは神様からの預言者と信じられない理由としてこの段落を引用した。 でも奴隷誰も天国に行けないと書いてない。 「無知のままに置かれてきた奴隷」は行けない。 ジョセフ・ベィーツの自叙伝に、1840年代にある奴隷の主人は自分の奴隷が神様の言葉を聞くのを喜んで、勧めた事が書かれてるのを読むと、すべての奴隷は無知のままに置かれた状態じゃない事が分かる。 僕の解釈は→神様は人間皆に真理を知るチャンスと比例的に人間を裁く。 知るチャンスがない奴隷は裁かれない。 聖書に触れるチャンスがほとんどなかったアフリカや中国の田舎者の裁きは軽い。 聖書を簡単に買える日本人の裁きの方が重い。 そして神様を知ってるはずの欧米人、特にアメリカ人、の裁きの方が厳しい。 神様を知りながら拒む者の方が厳しい裁きを受けるなら、一番厳しい裁きを受ける者は??そう→サタンです。 天使の中で一番神様に親しく、緊密な関係だったサタンは反乱を起こしたので、彼の受ける裁きは誰よりもはるかに厳しい。


第34章 大きな叫び

天国で天使たちが急いで行ったり来たりしている様子を私は見た。 彼らは大事な何かを成し遂げるために準備をして、地球に下りたり、天国に昇ったりしていた。 次に、第三の天使の声と合わせ、彼のメッセージに力と説得力を付け加えるために、もうひとりの力強い天使が地球に下りるよう、任命された事を私は見た。 非常に強い力と栄光がこの天使に与えられた。 そして彼が下りると、地球はその栄光で明るくなってきた。 彼が力強く声を張り上げて、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。 そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった」と叫んだ。 すると、この天使の前と後ろに放たれていた明かりは至る所を貫いて光った。 第二の天使が、「バビロンは倒れた」と告げたメッセージは再び告げられる。 更に、1844年の時から各教会に入ってきた不正も告げられる。 この天使の働きはちょうど良い時期に始まり、第三の天使のメッセージが大きな叫びになって、偉大な最後の運動に発展する時に加わる。 至る所に神様の民は、もうすぐ直面する「試みの時期」に耐えられるように備えられる。 彼らがまぶしい光に覆われるのを私は見た。 そして彼らはそのメッセージに加わり、大胆に力強く第三の天使のメッセージを宣言した。

SDAの中で「大きな叫び(大いなる叫び)」は知られてるけど、「バビロンは倒れた」と「出て来るよう」以外、大きな叫びに関する知識はあまりないようです。 この段落のお陰で、もう少し光があって、学べます。 1844年に告げられた「各教会から出るよう」を再び告げ、そして教会にある不正も告げなければならない。 これは容易ではない。 楽しい仕事でもない。 「神様は愛だ」というメッセージを告げるのは簡単だけど、人の悪いところを告げ、その悪い行ないを止めるよう、と呼び掛けるのは容易ではない。 実に現在流行ってる、「神様の愛は無条件」とか「人を裁くな」という間違ってる説教は大きな叫びの準備をじゃましている。 「調和」と「団結」が一番大事と思われてるこの世的な考えと正反対だから、「教会から出なさい」とか、何よりも真理を大事にしようとする人は社会の秩序を乱してると見なされるでしょう。 こういう人たち(聖徒)は「自然法」で裁かれる。 つまり、進化論に基いて、一人の自由より、社会全体を守るため外れ者を処分すべきだ、という考えを元に裁かれる。 後の雨と大きな叫びは同じ事を指してる事を覚えていますか。 あちこち大きなバプテスマがあるところで起こらない。 世界的なスケールで、そして「堕落してしまった教会から出るよう」というメッセージが伴わないと、これは大きな叫びじゃない事が分かる。


天国からの力強い天使を手伝うために天使たちは派遣された。 すると至る所に、「私の民よ。 彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。 彼女の罪は積り積もって天に達しており、神はその不義の行ないを覚えておられる」という声が聞こえた。 このメッセージは第三のメッセージの追加のようで、「真夜中の叫び」が1844年に第二の天使のメッセージに加わったように、このメッセージが第三のメッセージに加わった。 忍耐強く待っている聖人たちは、神様の栄光に覆われながら重大な最後の警告、「バビロンは倒れた」を大胆に宣言して、そして神様の民がバビロンのひどい破滅を逃れるためにそこから出るよう呼び掛けた。

天使たちは実際メッセージを伝える。 もちろん人間もするけど、この本に出る天使たちはひゆではない。 エレン・ホワイトは彼らが実際やってるところをこの幻を通して目撃して、忠実に書いた。 1840年台の「真夜中の叫び」を勉強したら、「大きな叫び」をより易く理解できると思います。 1841年から人々が各教会から出たり、追い出せられたりした。 そして1844年の夏から10月22日まで聖霊を感じながらたくさんの人が各教会から離れた。 当時のアドベンチストのリーダーたちはこの運動に一番消極的だった。


待っている人たちに当たった明かりは、どこをも貫いて光った。 そして各教会に光をいくらか持って、三つのメッセージをまだ聞いていない、拒否しなかった人たちはその呼び掛けに応じて、堕落してしまった各教会から離れた。 これらのメッセージが伝えられてから多くの人は分別のつく年齢になってきたので、光に当たると命か死かを選ぶ特権が与えられた。 ある人は命を選び、自分の主を首を長くして待って、主の戒めをみな守っている人たちと肩を並べる事にした。 第三のメッセージが役割を果たして、皆がそのメッセージで試され、そして貴重な人たちは各宗教団体から出て来るよう呼び掛けられる事になる。 抵抗できない力に正直な者の心は動かされる。 同時に、親戚や友達は神様の力の現れで怖くなり、聖霊の働きを感じる者をじゃましようと思っても、あえて実行するほどの力や勇気がない。 最後の呼び掛けは哀れな奴隷たちにまで届く。 そして彼らの中の信心深い者は、へりくだった表現で、救いへの幸せな望みをあふれんばかりの喜びで歌う。 あっけに取られ、恐れた主人たちはただ黙って、彼らをやめさせる事ができない。 著しい奇跡が行なわれ、病人はいやされ、そして信者たちにしるしや不思議な出来事が付いてくる。 神様はこの働きと共にいるので聖人は皆、どんな結果になろうとも、自分の良心の信念に従って神様の戒めをみな守っている人たちに加わる。 それで彼らは第三のメッセージを力強く広める。 第三のメッセージの終わりごろに伴う力と説得力は「真夜中の叫び」をずっと上回る事を私は見た。

ここに書いてる時間の事を勉強したら、どうもイエス・キリストは1860年台に地球に帰って来る事を計画してたらしい。 現在、2003年、「多くの人は分別のつく年齢になってきた」より、「皆」と言った方が良いでしょう。 このメッセージは各教会に居る人に限定してるらしい。 クリスチャンじゃない人は? 知りません。 この時点で「各教会」はSDAをも指していますか。 そういうふうに理解できる。 29章に「名ばかりのアドベンチストや堕落してしまった各教会の中に、神様の正直な子供たちがいる事を私は見た。 そして、災害が注がれる前に、牧師たちや一般の人はこれらの教会から呼び出され、真理を喜んで受け入れる事も私は見た」と書いてあります。 すごい奇跡は行なわれる。 不信者が怖くなって、抵抗できないほど私たちは聖霊の力ですごい事をする。 不信者がじゃまできないなら、この時点で私たちは迫害を受けてない事になるよね。


神様に仕える人たちは力を上から授かり、顔が聖なる献身さで輝きながら働きをやり遂げるために出て行って、天国からのメッセージを宣言した。 すべての宗教団体に点在する貴重な人たちはその呼び掛けに応じ、ソドム市の破壊の前にロトが連れ出されたように、破滅する運命づけられている各教会の中から急いで連れ出された。 豊かに降りてきた素晴らしい栄光によって神様の民は元気づけられ、「試みの時期」に耐えられる準備ができた。 至る所でたくさんの声が、「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」と言っているのが聞こえた。

「顔が聖なる献身さで輝き」。 絵で描いて欲しいな〜。 皆は顔が聖なる献身さで輝くのを望んでるよね! 各教会(バビロン)はソドム市と似たようなものです。 この時点で私たちの試みの時期はまだ始まってないで、自由に大きな叫びを伝えられます。 私たち皆は黙示録14:12を唱えるので、その時の真理の核心は信仰「イエスを信じる」と行動「戒めを守り」にある事が分かります。 この教えはほとんどのキリスト教のリーダーが言ってる「信仰のみ」や「十戒は十字架で廃止された」と教えてる事と反対してるから対立が避けられない。


第35章 第三のメッセージの終わり

第三の天使のメッセージが終わろうとした未来の事が私に示された。 神様の力が自分の民の上を覆っていた。 彼らはそれぞれの働きをやり遂げ、そして目前に控えた試練の準備ができた。 更に「後の雨」つまり、「主の居るところからの元気」を受けたので、生きている証しが再び現れた。 偉大な最後の警告が至る所に告げられた。 地球の住民の中でそのメッセージを受け入れようとしなかった者はそれに扇動され、激怒した。

「後の雨」の別名は「主の居るところからの元気」。 皆自分しか経験できない迫力のある証しをする。 一日も早く睡眠薬みたいな説教がなくなったらいいな〜。 先学んだ事がここでもう一度書かれてる→つまり、大きな叫びは先に告げられ、後で(最中)迫害が起こる。


天国で天使たちが急いで行ったり来たりしている様子を私は見た。 脇に角製のインク入れを付けていた天使のひとりが地球から帰って来て、イエスに自分の働きは終わった事、そして聖人たちは皆数えられ、印が押されている事を報告した。 すると、十戒が入っている契約の箱の前で務めていたイエスが吊り香炉を投げ落とし、手を上の方に差し伸べながら大声で、「完了した」と言った様子を私は見た。 そこでイエスが厳粛に、「不義な者はさらに不義を行ない、汚れた者はさらに汚れたことを行ない、義なる者はさらに義を行ない、聖なる者はさらに聖なることを行なうままにさせよ」と宣告した時、天使は皆それぞれの冠を脱いだ。

ほとんどのSDAはこれを知ってると思うので青色にしたけど、ウィリアム・グロティーアという92才のSDA神学者がこれを信じません。 彼はルカ21:24は1967年に成就したという間違った解釈をしています。 エゼキエル9章に出る「脇に角製のインク入れ」の者はイエス・キリストで、現在イエスは至聖所に居ない事を言ってて、多くの人を惑わしています。 でも本当は、その者はイエスじゃなく、ここに書かれてる通り→天使です。 この天使は神様の印をエルサレム(SDA教会)で行なわれてる悪事のため嘆いたり、悲しんだりする人だけに与える。 144,000人の一人になって、神様の印を受けたいなら、教会の悪事を指摘して、「悔い改めよう」と言わないといけないですね。


その時に「生」か「死」か、すべての(人間の)判決が下ったのを私は見た。 イエスは既に自分の国の民の罪を完全に消しておいて、自分の王国を受け取っていた。 その王国の住民のためのあがないはもう完成された。 イエスがまだ聖所で務めている間、死んだ義人の裁判の後、生きている義人の裁判が行なわれていた。 王国の住民は構成され、「小羊」の結婚式は終わった。 そしてその王国、全天下の王国の偉大さはイエスと救いの相続者たちに与えられた。 そこでイエスは王の王、主の主として治世する。

私たちが天国に着くに「小羊の結婚式」は既に終わったと知ってる人は少ない。 その「小羊の結婚式」はいったい何?


イエスが至聖所から出ると服に付いた鈴がちりんちりんと鳴った音を私は聞いて、そして暗い雲が地球の住民を覆った。 有罪の人間と怒った神様との間には仲裁者が居なくなった。 イエスが有罪な人間と神様との間に立っていた時、彼らにはまだ抑えが効いていたが、人間と父なる神様との間からイエスが一歩出るとその抑えは効かなくなり、サタンが人間を支配する事になった。 イエスが聖所で職務を行なう限り災害が注がれる事は不可能だが、その職務を完了して、仲裁を終えると神様の怒りを阻止するものは全部なくなる。 そこで訓戒を嫌って、救いを軽視してきた有罪な人たちの無防備な頭上にその怒りが猛烈に降りかかってくる。 イエスの仲裁が終わってから聖人たちは、その恐ろしい時に仲裁者なしで聖なる神様の視界内に生きていた。 すべての判決が下って、すべての宝石が数えられていた。 天国の聖所の外の方の部屋でイエスはしばらくの間とどまって、至聖所に入っていた間に告白された罪を、罪の元祖であるデビルに戻した。 彼はこれらの罪の罰を受けなければならない。

一つの段落で面白い事が出る出る! イエス・キリストが「完了した!」と言ってから至聖所を出るまでの時間は明白してないけど、出ると服に付いてる鈴を著者エレン・ホワイトが聞こえた。 そしてサタンは人間を支配して、コントロールするようになる。 その後、災害が注がれる。 しかし多くの信者はイエス・キリストの取り成しの仕事がいつ終わるか、終わった後でもサタンを含めて人間誰も分からないと言う。 これを読めばサタンは一番先に分かるらしいね。 現在「神様の怒り」の話は人気がなく、あえて口にする人はほとんど居ない。 でも事実は事実です。 自分の愛しい息子、イエス・キリスト、の命を払ったのに、その貴重なものを受け入れない人に対して神様が怒るのは当然でしょう? ここに書かれてる「災害」は「最後の七つの災害」ですか。 そういうふうに聞こえます。 宝石が数えられる話はウィリアム・ミラーが見た夢とよく似ています。 我々は神様の宝石です! 告白され、赦された罪をサタンに戻す時にイエス・キリストはちょっと間を取る。 これは黙示録8:1に当るかな?


次に、イエスが祭司の服を脱いで、一番王様らしいローブを身に着ける様子を私は見た。 多くの冠、冠の内側にまた冠がイエスの頭に載っていた。 そしてイエスは天使の大勢に囲まれながら天国から出て行った。 地球の住民に災害が降りかかっていた。 ある人たちは神様を非難したり、ののしったりしていた。 他の人は神様の民にどっと押し寄せ、どうすれば神様の裁きの判決を逃れる事ができるかを教えてくれるよう懇願した。 しかし、聖人たちは彼らのために何も持っていなかった。 罪人のための最後の涙は既に流され、最後の苦しい祈りはささげられ、そして最後の重荷はもう既に負われていた。 「慈悲」の快い声はもう彼らを誘わない。 警告の終止符はもう打たれていた。 聖人たちや天国にいる者が皆彼らの救いに関心を持っていた時、彼らは自分自身の救いに関心を持っていなかった。 「生」か「死」、という選択肢が彼らの前に置かれていた。 多くの人は「生」が欲しかったが、手に入れるための努力を惜しんだ。 彼らが「生」を選ばなかった。 そして今、罪人を清めるあがないの血はもうない。 「容赦して、罪人をもう少し、もう少しの間赦して下さい」と彼らのために懇願する哀れみ深い救い主はもう居ない。 天国にいる者は皆、「もう終わった。 完了した」という恐ろしい言葉を聞いて、イエスと一致団結していた。 救いの計画が成し遂げられた。 でもその計画を受け入れた者はわずかしかなかった。 そして、慈悲の快い声が聞こえなくなると受け入れなかった者は恐怖に襲われた。 そこで彼らは、「遅すぎる!遅すぎる!」というのが恐ろしく明確に聞こえる。

もう悔い改めができなくなったら、神様に従う人は皆その事実を知る。 その時点で、受け入れなかった人の中に「助けてくれ!」と叫ぶ人が居る。 でも彼らが救われる可能性のある時期はもう終わった。 神様の愛は無条件だと思う人にとって、これは信じ難いかも知れません。 自分の救いに努力しないといけない事は書かれてる。 現在ほとんどの「クリスチャン」と言われてる本や記事などは「信仰だけ」を唱えて、それに伴う「努力」を無視したり、否定したりする。 努力しないと、絶対天国に行けない。 最終的に救われる人は少ない。 神様は皆を救いたがってるけど、神様を一番大事にする人は少ない。 黙示録7:9にヨハネが大勢の群衆を見た。 ここの「少ない」と黙示録の「大勢」は一致していますか。 一つの解釈は→例えば5千万人はすごい数なんだけど、今まで生まれてきた何十億人と比べたら少ないですよね。


神様の言葉を大事にしなかった人たちは急いで行ったり来たりしていた。 彼らは主の言葉を求め、海から海へ、北から東へと探し回った。 あの天使が、「その言葉は見付からない。 地にききんがある。 これは食料不足ではなく、水不足でもない。 これは主の言葉を耳にする不足である」と言った。 彼らはどれほど、「よくやった」と神様からの一言を聞きたがる事か! しかし、彼らは飢え、渇き続けなければならない。 来る日も来る日も彼らは救いを軽視しながら、天国からのどんな勧めや富よりもこの世の快楽や富を大事にしてきた。 イエスの聖人たちを軽蔑した上、イエスをも拒んできた。 汚れている者は永久に汚れたままでいなければならない。

「海から海へ・・・と探し回った」とはどういう意味か、いろんな解釈があります。 でもここで、この預言が実現されるのは恩恵が受けられるだと分かります。 お金や快楽を真理より大事にする人はイエスを拒む。


災害の影響を受けた悪い人たちのほとんどは激怒した。 それはひどく苦しい光景だった。 親は子供をさんざん責めたり、子供は親を責めたり、兄弟は姉妹を、姉妹は兄弟を責め合ったりしていた。 四方八方に、「このひどい時期から助けてくれたはずの真理を拒んだのは、おまえのせいだ!」という号泣が聞こえた。 人々は憎しみに満ちて牧師たちに向かって、「私たちに警告しなかった。 おまえらは、全人類が改宗すると言ったじゃないか。 気になったら、『大丈夫、平和だ』と大声で言ってたやろう? この時期について何も言ってくれなかったし、警告してくれた人たちの事を、『悪いやつらだ。 その狂信者のやつらは私たちを台無しにしようとしている』と言いやがったじゃないか」と彼らを責めた。 でも牧師たちが神様の怒りを逃れなかった事を私は見た。 受ける苦しみは彼らを従っていた人たちが受ける苦しみより十倍もひどかった。

ここで悪い牧師たちが世の終わり頃に何を説教してるのか、はっきり分かる→「全人類が改宗する。 大丈夫、平和だ」と言う。 2002年の一番大きなニュースはプロテスタントとカトリックの学者たちが集まって、「ユダヤ人は神様に選ばれた民族だから別にイエス・キリストを受け入れなくても救われる」と発表した。 その学者の一人にEメールを送って、ヨハネ3:36などを引用したけど、「聖書のあちこちを取ったら間違った解釈をする恐れがある」と言われた。 ごもっともです。 でも聖書全体のテーマは、救いはイエス・キリストのみにあるという事でしょう?! 他に救われる方法があれば別にイエス・キリスト、全宇宙を創った者が我々のために命を捧げなくてもいいんじゃない? ユダヤ人がイエス・キリスト無しで救われるなら、ヒンズ教徒、イスラム教徒、仏教徒、無神論者、つまり、皆が救われるようになる。 世の終わり頃に悪い牧師たちは「全人類は改宗する」と言う、この預言は成就しつつあります。


第36章 ヤコブの苦難の時期

聖人たちが町や村から出て、小さなグループを作り、本当にへんぴな所で共同生活を送っている様子を私は見た。 天使たちが彼らに食事と水を与えたが、悪い人たちは飢えたり渇いたりして、苦しんでいた。 次に、世界の権力者が協議して、その周りにサタンと彼の天使たちが慌しく動き回っている様子とある文書を私は見た。 その文書がコピーされ、地のいろんな所に配布された。 それによると聖人たちが独特な信仰を捨て、安息日をあきらめ、週の初めの日を守らないなら、実行日がくると彼らを殺しても良い、と命じられていた。 しかし、この時に聖人たちは神様を信頼していて、「逃げる道は用意される」という約束を頼りにしたので、冷静沈着であった。 ところどころにその文書が施行される前に、悪い人たちは聖人たちにどっと押し寄せ、殺そうとした。 でも兵士の姿をした天使たちが彼らのために戦った。 サタンがいと高き者の聖人たちを滅ぼす特権を手に入れたかったが、イエスは彼らを守るよう、自分の天使たちに命じた。 周りの異教徒たちの目の前で神様の法律を守り切った人たちと契約を結ぶ事によって神様は名誉を受ける。 それにイエスも、自分がやって来るのをあんなに首を長くして待ってきた忠実な人たちを、生きているままで天国に移してあげる事によって名誉を受ける。

えっ? 自分の家に住んだり、仕事に行ったり、普通の食べ物を食べたりしたままでイエス・キリストが乗ってる雲に引き上げられないの? そうです。 へんぴな山、砂漠、荒野などに逃げる。 多くの牧師は「イエス・キリストは明日帰って来るかも知れない」とか言うけど、違う。 ちょっと時間掛かります。 天使に食べさせる食事は単純な物でしょう。 長年のジャンク・フードの影響を体から出さないといけないですね。 お陰で私たちの信仰が強め、もっとはっきりと神様の心を察する事ができる。 悪い人は飢えたり渇いたりする。 黙示録に書かれてるように、すべての水が血に変わったりして、大変な事が次々と襲ってくる。 国連の映像がテレビに映されるたびに、「この世界の権力者が協議して」というところを思い出す。 誰がこの決議案に拒否権を発するか。 誰も。 全世界はこういう「原理主義者」と呼ばれる(呼ばれてる!)人たちを消す事に満場一致で案を採決します。 この段落に世の終わりの争点は何か、はっきりと書かれています。 神様の安息日→金曜日の日没から土曜日の日没まで、を守るか、人間が定めた休日→日曜日、を守るか、すべての人間の行方はこの点によって分かれる。 この時点で神様に従う人たちが殺されるのは不可能です。 その前に殉教者が出たら、それは違法らしい・・・ 本当に世の終わりに殉教者が出るなら、何で犯罪に当る時に出るのに、合法の時に出ないのかな?


すぐ、聖人たちが精神的に大変苦しんでいる様子を私は見た。 彼らは地球の悪い人たちに囲まれていたようで、形勢は彼らに不利のようだった。 何人かが、「とうとう神様に捨てられ、悪い人たちに殺されるかも知れない」と心配し始めた。 でももし目が開けられたら、彼らは神様の天使たちに囲まれている様子を見る事ができたはず。 怒った悪群集が次にやって来て、その次に聖人たちを殺すようせき立てている悪天使たちの大勢があった。 しかし、接近しようとすると、まずこの力強い聖なる天使の部隊を通らなければならない。 これは不可能であった。 神様の天使たちは彼らを退却させ、その周りで彼らをせき立てている悪天使たちをも退却させていた。 聖人たちにとってこの時期を大変恐ろしく、苦しく感じた。 昼夜神様の助けを求め、叫び続けたが、形勢で判断したら、彼らに逃げる道はまったくなさそうだった。 悪い人たちは早くも勝ち誇って、「なぜおまえらの神は我々の手から救ってくれないか? 上に昇って、自分で命を救ったらどうだ?」と叫んでいた。 でも聖人たちは耳を貸さなかった。 彼らはヤコブのように神様と格闘していた。 天使たちは心から彼らを救いたがっていたが、彼らはあの杯から飲まなければならないし、あのバプテスマを受けなければならないので、もう少し待つ必要があった。 それで天使たちは責任を忠実に果たして、見守っていた。 神様が自分のすさまじい力を発揮して、聖人たちを見事に救い出す時が迫っていた。 異教徒たちの間で自分の名前が恥辱される事は許されない。 自分の名前の栄光のために神様は、名前があの本に書かれて忍耐強く待つ人を皆救い出してあげる。

生きたままで天国に行こうとする144,000人の聖徒の中にも、恩恵の期間の後でも心配する人が居る。 悪い人は荒野まで出て来て、聖徒を殺そうとする。 ヤコブが天使と格闘した話(創世記32:24−28)を読むと、この時期の聖徒の心境がちょっと分かる。 この期間はこの本によく出る「試みの時期」みたい。 聖徒が救われる理由は自分がすごいだからじゃなくて、神様が自分の名前の栄光のために彼らを救ってあげる。 神様の言う通りに従ってきたのでお父さんが自分の子供を守るように、神様は自分の子供たちを守りきる。


時代をさかのぼって、忠実なノアの事が私に示された。 雨が降って、洪水が起こった。 ノアとその家族は既に箱舟に入っていて、神様によって(扉が)閉められていた。 古代の地球の住民に軽蔑され、バカにされながらも、ノアは忠実に警告していた。 そして水が地面に降って来ると彼らは次々とおぼれ死んで行った。 その時、彼らはあんなにバカにしていた船が安全に水の上に乗って、忠実なノアとその家族を守っているのを見た。 同じように、「神様の怒りは間近だ」と世の人に警告していた神様の民も救われる事を私は見た。 忠実に地球の住民に警告して、生きたまま天国に移される事を期待している上、獣のしるしを受けず、獣の法令に服従しなかった人たちが悪い人たちに殺されるのを神様は許さない。 もし悪い人たちが聖人たちを殺すのが許されたとしたら、神様を嫌う人たち、それにサタンと悪天使たちは皆満足してしまう事を私は見た。 最後の戦いに愛している者を見ようと首を長く、長くしてきた人たちに対して力を振る事ができたら、悪魔大王様はどれほど勝ち誇るだろう! 「聖人たちは上に昇る」という考えをあざ笑ってきた人たちは、神様が自分の民の世話をして、見事に救い出すのを目撃する事になる。

聖徒たちは神様からくる怒りを世に伝えてきた。 神様の愛ばかりを口にするの方が楽ですよね。 もちろん神様は愛である事が本当なんですけど、第三の天使のメッセージは特に神様からくる怒りを世に伝えるものです。 この段落を赤にした理由は「獣のしるしを受けず、獣の法令に服従しなかった」と書かれてるからです。 私たちSDAのほとんどが獣の法令は「日曜日崇拝」で、そのしるしは「日曜日崇拝」と教えられてきたけど、これは二つに分かれてる→1.「法令に服従する」。 これは獣が命じる日曜日崇拝です。 「法令に服従する」=命じられる事をやる。 だとすると、2.「しるしを受けず」はただ日曜日を崇拝しない事と違うはずです。 「法令に服従する」、とその「しるし」が同じ事だったら、二つに分ける必要はない。 これで「獣のしるし」は日曜日を守る人が受ける実際目で見えるしるしだと考えられます。


聖人たちは町や村から出て行くと悪い人たちに追い掛けられた。 剣を持ち上げ、聖人たちを殺そうとしたが、持っていた剣がわらのように力無く折れて落ちてしまった。 聖人たちは神様の天使たちに保護されていた。 そして、彼らの昼夜ずっと救いを求め続ける叫びは神様の居るところに届いた。

世の終わり頃に銃がないの?!


第37章 聖人たちの救出

神様は自分の民を真夜中に救い出す事にした。 周りで悪い人たちが彼らをバカにしていると、突然、太陽はギラギラ光りながら出て、そして月は止まった。 悪い人たちは唖然とこの光景を眺めた。 次々にしるしや不思議な出来事が起こって、あらゆるものが自然のなりゆきから覆されたようだった。 聖人たちはこれらの救出のしるしを厳粛な喜びで眺めた。

聖徒たちは「真夜中」に救われる。 ええと・・・南アルプス・サハラ砂漠・シベリア・ロッキー山脈・どこでも同時に「真夜中」? この時点で聖徒皆が集まってるかな? 世の終わりの直前に神様は皆集めるかも。 他の解釈ありますか。


小川が流れなくなった。 重そうな暗い雲々が現れて、ぶつかり合った。 しかし、ひとつだけ澄みきって安定したところから栄光が差していた。 そこから大水のとどろきのように聞こえる神様の声が出て、天地を揺るがした。 そして大地震が起こった。 墓が揺れ開かれたので第三の天使のメッセージを信じ、安息日を守っていた人たちは、神様が自分の戒めを守ってきた人たちと結ぼうとしていた平和の契約を聞くために栄光を受けたまま、ちりの寝床から出て来た。

第一の復活といわれてるもののに特別な復活がある。 これは1844年頃から恩恵の期間が終わるまで死んでしまった聖徒皆を意味します。 我々安息日を守った人にとって本当に有り難い特権ですね:)


空は開いたり閉まったり動揺していた。 山々は風になびく草のように震え、あちこちにごつごつした岩を吐き出した。 海はまるで煮えたぎる鍋のように陸に岩を吹き出した。 神様がイエスのやって来る日にちと時刻を告げ、自分の民に永遠の契約を伝えた時に一句を言って、その言葉が地球の至る所を駆け巡っている間、ちょっと間をとった。 神様のイスラエルはじっと上を見つめながら立って、エホバの口から出て地球を駆け巡る大きな雷のような言葉を聞いていた。 これは大変荘厳なものだった。 告げられる一句一句が終わる度に聖人たちは、「栄光! ハレルヤ!」と叫んだ。 彼らの表情が神様の栄光で明るくなり、顔は、モーセがシナイ山から下りた時の顔と同じように輝いていた。 あまりの栄光で悪い人たちは見ていられなかった。 そして安息日を守ることで神様に栄光を帰した人たちに終わりのない、永遠の祝福が下った時、獣と獣の像に対して力強い勝ちどきが上がった。

「山々は風になびく草のように震える」、すごいね。 安息日を守る事で自分が偉くなるのではなく、神様に栄光を帰したいから守ります。


それからヨベルが始まり、土地は休める事になる。 敬虔な奴隷が勝ち誇って勝利を得、縛られていた鎖を払い落とすのを私は見た。 でも、その奴隷の悪い主人はどうしたら良いのか分からず、参ってしまった。 なぜなら、悪い人たちは神様の言う事を理解できなかったからである。 そしてすぐ、あの大きな白い雲が現れ、そこに「人の子」が座っていた。

ある人はヨベルを数える事で最後のヨベルはいつ来るか計算するけど、そういう事は無駄だと思う。 本当のイエス・キリストが来る時、雲に乗って来ます。 これで偽キリスト(サタン)と本物の区別がつけます。


遠く現れた時にこの雲がとても小さく見えた。 あの天使が、「これは人の子のしるしだ」と言った。 その雲が地球に近付くと私たちは、勝利を得るために乗っているイエスの素晴らしい威厳と栄光が見えてきた。 頭にキラキラ輝く冠をかぶっていた聖なる天使たちがイエスに付き添っていた。 その光景の素晴らしさは言葉では言い表せない。 比類のない栄光で威厳のある生きた雲が更に近付いて来るとイエスの立派な姿がはっきりと見えてきた。 いばらの冠をかぶらないで、その聖なる額は栄光の冠で飾られていた。 イエスの服と太ももに、「王の王、主の主」という名前が書かれていた。 イエスの目は炎のようで、足は精錬されたしんちゅうのように見え、そして声は多くの楽器のように聞こえた。 イエスの表情は真昼の太陽のように輝いていた。 地球はイエスの前で震え、「天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。 地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、洞穴や山の岩かげに身を隠した。 そして、山と岩とに向かって言った、『さぁ、我々を覆って、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。 御怒りの大いなる日が、既にきたのだ。 誰が、その前に立つ事ができようか』」。

神様に栄光あれ! ハレルヤ! イエス・キリストの比類のない壮麗さを自分の目で見たいですね。 この段落で黙示録に出るいくつかの出来事がいつ実現するか分かる。


ちょっと前に神様の忠実な子供たちを地球から消そうとした人たちは、神様の栄光が彼らを覆う事を目撃しなければならなかった。 彼らの栄光を受けた姿を。 恐ろしい光景の中で聖人たちが、「見よ、これは我々の神である。 私たちは彼を待ち望んだ。 彼は私たちを救われる」と喜んで言う声を、彼らを消そうとした人たちは聞いていた。 神様の息子が眠っている聖人たちを呼び起こすと地球は大きく揺れた。 彼らはその呼び掛けに応じ、素晴らしい不死をまとったまま出て来て、そして死と墓に対して、「勝利だ! 勝ったぞ!」と叫んだ。 「死よ、おまえのとげはどこにあるのか。 墓よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。」 その時、生きている聖人たちとよみがえった聖人たちは声を合わせて長い勝ちどきを上げた。 病気で墓に下った体は永遠の元気と健康を受けて出てきた。 そして生きている聖人たちは瞬く間に、一瞬にして変えられ、よみがえった聖人たちと共に上の方に引き上げられた。 こうして一緒に空中で彼らの主に会う。 あぁ、これは何と素晴らしい顔合わせになるだろう! 死で離れ離れになってしまった友達が再会して、もう二度と離れる事はない。

「二度と離れる事はない」。 いいですね:)


雲車の両側に翼があって、その下に生きている車輪があった。 雲車が上の方に走りながらその車輪は、「聖なる!」と大声で言い、翼は動く度に、「聖なる!」と大声で言った。 それに雲の周りにいる付き添いの天使たちも、「聖なる! 聖なる! 聖なる! 全能の主、神様よ!」と大声で言った。 雲の中にいる聖人たちも、「栄光! ハレルヤ!」と大声で言った。 このようにして雲車は上の聖なる都の方に走り続けた。 聖なる都に入る前に聖人たちは、イエスを中心にした正方形を作って、立った。 イエスは聖人たちと天使たちより頭と肩とだけ背が高かった。 その正方形にいる者は皆、イエスの威厳のある姿と立派な表情を見ることができた。

これはあまり大事じゃないけど、知られてないから赤色にした。 私たちがイエスと一緒に天国に行く乗り物、その雲には車輪(生きてる!)があり、その乗り物は「雲車」と呼ばれています。 天国の都に入る前に、イエスを囲む時、正方形の形でイエス・キリストを囲む。 普通は人を囲む時輪を作るから、正方形に特別な意味があるかな?


第38章 聖人たちの報い

次に、都からおびただしい数の天使が、素晴らしい冠を持って来る事を私は見た。 それぞれの聖人のために冠があって、各冠にはその聖人の名前が書かれていた。 そしてイエスが冠を持って来るよう命じると、天使たちはそれらを渡した。 すると愛しいイエスは自分の右手で聖人たちの頭の上に冠を載せた。 同じように天使たちがハープを持って来て、そしてイエスはハープをも聖人たちに渡した。 指揮官の天使たちが最初の音を出すと皆は声を合わせて、幸せと感謝をこもった歌で賛美した。 すべての手は上手にハープの弦をさっとなでて、完璧な調子で美しいメロディーの音楽を作った。 次にイエスが償われた団体を都の門まで案内する様子を私は見た。 イエスはキラキラ光るちょうつがいで動く門をしっかりつかんで、力強く開け、そして真理を守ってきた諸国の人たちに入るよう言った。 都にあるものはみな目を楽しませるものばかりだった。 彼らはどこに目をやっても素晴らしいものが見えた。 その時イエスは、栄光で表情が光って償われた聖人たちを見渡した。 そして優しい目付きで彼らを見つめ、深みのある音楽のような声で、「私の魂の労苦の結果を見て、満足する。 この素晴らしい栄光を永遠に楽しんでも良い。 あなたたちの悲しみはもう終わった。 もはや死はなく、悲しみも、泣きも、痛みもない」と言った。 償われた大勢はひれ伏して、それぞれのキラキラする冠をイエスの足元に投げ落としたのを私は見た。 イエスの美しい手で引き起こされると彼らはハープを持って、小羊への歌や音楽で天国を満たした。

これはよく知られてると思うけど、私たちの冠にはそれぞれの名前が書かれてる。 これで天国は共産主義でない事が分かる。 イエスが皆それぞれの冠を自分の右手で載せたり、ハープを渡したりするので、かなり時間が掛かるようです。 楽しい時間。 僕は音痴だから天国でハープを持って美しい音楽が作れるのを楽しみにしています:)


次に私は、償われた大勢を命の木の方へ案内しているイエスを見た。 そしてもう一度、今まで人間の耳に入ったどんな音楽よりも深みのある美しい声でイエスが、「この木の葉は諸国民をいやすためのものである。 全部食べなさい」と言うのを私たちは聞いた。 命の木には聖人たちが好きなだけ食べられる美しい実があった。 都に大変素晴らしい王座があって、その下から水晶のような澄んだ命の水の川が湧いて流れた。 この「命の川」の両端に「命の木」があった。 川のほとりに、食べるに良い果実をつける美しい木々があった。 天国の様子を説明するには言葉というものは全く物足りない手段である。 その光景が私の前に現れてくると夢中になって、うっとりしてしまう。 その壮麗さや素晴らしい栄光のあまりで私はただペンを置いて、「あぁ、何という愛か! 何という素晴らしい愛か!」と感嘆するしかない。 一番格調高い言い回しを使っても、天国の素晴らしさや救い主の比類のない愛の深さを説明する事はできない。

天国の様子は皆考えた事があると思うけど、具体的にどんな所なのか、あまり聞かない。 雲の上で永遠とハープの弦をなでるだけなら、「パスするわ」と僕を含めて皆は言うでしょう。 でも本当はすごいきれいな所でやる事がいっぱい。 体の必要に応じて苦労しなくても良いので、この世でできない事できるようになります。 この段落で神様が言葉という手段で自分の様子などを教えてる限界を感じます。 神様が自分の無限の力や愛(無条件じゃないよ:)を人間の言葉で伝えようとしてるのを考えると本当に感無量です。


第39章 地球の荒廃

次に、私は地球を見た。 悪い人たちが死んで、そのしかばねは地面に横たわっていた。 「最後の七つの災害」で地球の住民は神様の怒りに苦しめられた。 苦痛のあまり、自分の舌をかじって、神様をのろっていた。 偽りの牧者たちは特に神様の怒りの的となった。 立ったまま、彼らの目玉がその穴の中で溶け、舌が口の中で溶けていた。 聖人たちが神様の声で救い出されてから、悪大衆の怒りは互いに向けられていた。 地球は血の洪水のようになり、そして果てから果てまでしかばねがあった。

イエス・キリストが地球に来ると悪い人たちは殺し合います。 悪い人は地の至る所に居るなら、聖徒たちもそうかも知れない。 どうやって真夜中に太陽が昇るのを見るかな? 悪い牧師たちが受ける罰は原子爆弾のようです。 彼らの目玉が溶ける?! イエス・キリストの光はすごい!


地球は荒廃を極める状態であった。 都市や村々はあの地震によって崩れ落ち、がれきの山となった。 山々はあった場所から移され、大きな洞穴を残した。 海はごつごつした岩を地面に吹き出して、そして土の中から岩が抜き取られ、地面の至る所に散らばっていた。 地球は荒れ果てた荒野のように見えた。 大きな木は根こそぎにされ、地面に散らばっていた。 ここはサタンと彼の悪天使たちが1,000年間住む場所である。 彼らはここで拘束され、凸凹の地面をあちこちさまよいながらサタンが神様の法律に反抗した結果を見る事になる。 サタンは、自分がもたらした呪いの結果を1,000年間も楽しめる。 彼は地球に拘束されるので他の惑星に行ったり来たりして、堕落していない者を困らせたり、誘惑したりする特権は与えられない。 この期間中サタンは本当に苦しむ。 彼が堕落してから自分の性質の悪いところは常に働かされてきた。 でもその時、自分の権力が発揮できないので、堕落してから果たしてきた役割を顧みる。 自分のやってきた悪い事と犯させた罪をみなのために苦しみや罰を受けなければならないという恐ろしい未来の事について、サタンはびくびくおびえながら考える。

サタンは長く休みなくわなを掛けてきたけど、その時できなくなる。 サタンは現在まだ堕落してない惑星に行ける。 本当に厄介なやつだな〜。 宇宙に神様に創られ、堕落してない生き物がたくさん居るらしい。 サタンは1000年も自分のやってきた事と将来の罰を考える。 負けると分かってるのに(十字架で)何で今更反抗を続けるかな?


次に天使たちと償われた聖人たちから一万個の楽器のように聞こえる勝ちどきが上がるのを私は聞こえた。 それは彼らが、もうデビルによって困る事も、誘惑に会う事もない上、地球以外の世界の住民もデビルの存在や誘惑から救い出されたからである。

サタンは現在でも天国に居る天使たちを困らせたりする事をしてる。 まだ堕落してない惑星で暮らしてる者をどういうふうに誘惑するだろう? イエス・キリストの2回目の現れでそういう誘惑も全部終わる。 神様に感謝します!


次に私は王座を見た。 それらの王座にイエスと償われた聖人たちが座り、その聖人たちは神様の前で王様と祭司として支配した。 死んだ悪い者たちの行為が法令書、つまり神様の言葉と比べられ、そして彼らは肉体でやった事で裁かれた。 イエスは聖人たちと一緒に、悪い者たちがそれぞれの行為に応じて味わわなければならない苦しみの量を与え、それを「死の書」という本の、彼らの名前の欄に書いた。 サタンと彼の天使たちもイエスと聖人たちによって裁かれた。 サタンの受ける罰は彼がだました者たちの罰よりはるかに重い事になる。 彼らが受ける罰と比べものにならないほど重い。 自分がだました者が皆死んでも、サタンははるかに長く生き続け、苦しめられる事になる。

「肉体でやった事で裁かれた」。 この世の裁きかたもそうでしょう。 考えただけで、実行しないなら、犯罪にならない。 神様は人の思いも分かるけどね。 とにかく、天国に居る者は1000年間を通して、悪い人が受ける罰を公平に、愛を込めて決める。 そして皆は納得する。 イエスを拒んで、天国に行けなかった自分の家族の者と友達とかを裁いて、苦しみの分を与えるのは大変な作業になるでしょう・・・


悪い死者たちの裁きがその1,000年で終わってからイエスは都から出て行った。 そして天使たちは列を作って、聖人たちと一緒にイエスに付いて行った。 イエスは巨大な山の上に下りた。 足が山に触れるなり、山は真っ二つに裂け、広大な平原になった。 次に私たちは視線を上の方に向け、十二の土台と十二の門、各側に門が三つずつあり、それに各門に天使がいる大いなる美しい都が見えた。 そこで、「都だ! その大いなる都は神様の元から出て来ている!」と叫んだ。 そしてキラキラ輝いた華麗な都はイエスに用意された大平原に下りて、着地した。

あの1000年後イエス、天使、聖徒皆が地球に下りてから新しいエルサレムが下りて来る。 このでっかい都(本州ほど大きい?)がキラキラ輝きながら天から下りてくる光景、見たいですね!


第40章 第二の復活

次に、イエスと償われた聖人と付き添いの聖なる天使は皆、都から出て行った。 聖なる天使たちはイエスを囲んで護衛して、そして償われた聖人たちは列を作って付いて行った。 その時、大変恐ろしい威厳を持って、イエスは死んだ悪い者たちを呼び起こした。 すると彼らは墓に入った時と同じような弱々しく、元気のない体で上って来た。 何という有様か! 何という光景なのか! 第一の復活の時、皆は永遠に不死盛りのままで出て来たが、第二の際、皆に呪いの影響が見える。 この世の王様や貴族たちは卑劣な者や身分の低い者たちと、教養のある者とそうでない者と一緒に出て来る。 そして皆は人の子を見る。 イエスを軽蔑したりバカにしたりして、葦で打ち、イエスの神聖な額にいばらの冠を載せた人たち、正にその人たちはイエスの王様らしい威厳のある姿を見る。 裁判の場でイエスにつばを吐き掛けた人たちは今、イエスの射るような眼差しや、表情の栄光から顔を背けようとする。 イエスの手と足に釘を打った人たちは今、はりつけの跡を見る。 イエスの脇にやりを突き刺した人たちは自分の残酷な行為の跡を見る。 そこで自分たちがはりつけて、息を引き取った苦しい時にあざけった者が正にこの者であると分かる。 そして彼らは王の王、主の主の前から逃げようとする時、長い苦しいわめき声が上がる。

これは明らかにイエス・キリストの3回目正式に地球に来る事を言っています。 2003年の時点で計算したら、最初はほぼ2000年前、2回目はもうすぐ(世の終わりともいう)、そして3回目は2回目の1000年後。 この3回目の時に悪い人が皆復活する(「第二の復活」)。 その時イエスの聖なる体を傷付けた兵士たちなどは復活して、自分がつけた傷の跡を見る。 イエスと聖徒たちが新エルサレムから出て、ちょっと進んでからイエスは悪い死者を皆復活させる。 第二の復活は新エルサレムが下りてから行なわれる。


昔軽蔑していた者の恐ろしい栄光から身を守るため、皆は岩の陰に隠そうとしている。 イエスの威厳と優れた栄光のあまり、皆は苦しんで、圧倒される。 そこで皆は一斉に声を上げて、恐ろしくはっきりと、「主の名前によって来る者に祝福あれ」と叫ぶ。

よく黙示録に出るイエス・キリストの降臨について「これは2回目の事を言ってる」と思われるところが3回目の事を言っていますね。


次に、聖人は皆イエスと聖なる天使たちと一緒に都に戻る。 そして滅びに運命づけられている悪い者たちの辛い悲嘆やわめき声が至る所に響く。 次に、サタンがもう一度働き出した事を私は見た。 彼は自分の国民の間を回って、弱い者や元気のない者に力を与えてから自分と自分の天使たちは強い、と彼らに言った。 それから、よみがえった無数の人を指差した。 戦術に精通して、国々を征服していた偉大な王や戦士たちがそこに居た。 そこには力強い巨人たちと、戦いに一度も敗れた事のない勇敢な人たちも居た。 接近するだけで諸国を震わせた野心のある高慢な男、ナポレオンも、そこに居た。 背が非常に高く、高尚な気品のある振る舞いをして、戦場で倒れた人たちがそこに立っていた。 征服欲を抱きながら彼らは倒れた。 それぞれの墓から出て来る時、死で途切れた思考の流れは、途切れてしまったところから再び始まる。 彼らは倒れた時に左右されていた征服心に再び左右される。 サタンは自分の天使たちと協議してから王様と征服者、それに強い人たちと協議する。 それからサタンは、あの巨大な軍団を見渡して、「都にいる団体は小さくて弱い。 我々は上り攻め、そこの住民を追い出して、そこにある栄光と富を手に入れる事ができる」と言う。

第二の復活の後、イエス、天使、聖徒皆が新エルサレムに戻る。 そしてサタンはまた働き出す。 明らかに負けたと分かっても、最後の最後まで、命がある限り、彼は神様に反抗する。 この時点でも彼はすごい力を持って、よみがえったばかりの悪い人たちを癒したり、力付けたりする。 救いの計画を受け入れた者は「わずかしかなかった」に対して、サタン側には「無数の人」が居る。 神様の霊感が入ってる本、つまり聖書とこの著者、エレン・ホワイトの本には絶対滅びる人は誰か、ほとんど書かれてない。 この本にトマス・ペインとナポレオンしか書いてない。 僕がナポレオンを賞賛する記事やテレビの番組を見るとぞっとする。 彼は永遠に死んでしまう:( 戦場で倒れてきた兵隊の数はすごい。 今日、この数は増えた。 彼らが倒れた時の征服欲が再び湧いてくる。 恐ろしいですね。 戦って血を流したり、敵を下したりして、生きてた間サタンに従ってたから、サタンは彼らと相談する。 もちろん戦場で死ぬ人は皆悪いと言ってないけど、殺し合いとかやってる人は滅びる。


彼らはまんまとサタンにだまされるので、皆が直ちに戦争の準備を開始する。 その巨大な軍団に、熟練した人たちがたくさん居るので武器を作る事にする。 それからサタンを先頭にして、大軍団は移動する。 サタンのすぐ後ろに王様や戦士たちは付いて行って、その大軍団も各部隊に分かれて付いて行く。 各部隊に隊長がいる。 そして彼らは隊形を整え、聖なる都を目指して、凸凹な地面の上を行進する。 イエスは都の門を閉める。 そしてその大軍団は都を囲み、戦闘態勢を取る。 彼らは激戦を予想しているので、あらゆる種類の武器を造っておいて、都の周りに整列する。 イエスと頭にキラキラ光る冠をかぶっている天使の大勢と、輝く冠を持つ聖人は皆、都の城壁の上の方に上る。 イエスは威厳のある口調で、「罪人よ! 義人が受ける報いを御覧なさい! 私が償った人たちよ! 悪い者たちが受ける報いを御覧なさい!」と言う。 そこでその巨大な軍団は都の城壁の上にいる素晴らしい団体を見る。 彼らのキラキラ輝く壮麗な冠を目撃し、それぞれの顔が栄光で光ってイエスの形を表している事、それに王の王、主の主の比類のない栄光と尊厳を見ると軍団は気を落としてしまう。 失った宝と栄光の貴さがどっと彼らを襲い、そして「罪の報いは死である」という事を痛感する。 軽蔑していた「幸せな聖なる団体」が栄光、名誉、不死、それに永遠の命をまとっているのに、自分たちは都の外で、卑劣な忌まわしい者と一緒にいる光景を見る。

サタンの惑わす力はどれほどな物か、想像もできない。 悪い人たちの目の前に輝いてる素晴らしい新エルサレムがあるのに、手に入れたくて攻撃しようとする。 彼らはどれくらい戦争の準備をする? 分からないけど、「武器を作る」には時間が掛かります。 弓や矢みたいな物は簡単に作れるけど、ミサイルとか、爆弾を作ろうとしたらかなり時間が掛かります。 サタン側でも彼らなりに秩序正しく行動する。 我々クリスチャンはなお更ではないか! 都に入ってる聖徒はこの時どういう思いで外の無数の悪人が攻めて来る様子を見るでしょう? あの巨大な軍団に恵みを拒んだ愛する家族や友達の顔が見えるかな? 新エルサレムの壁の高さは何十`ではないかと推測する人は居るけど、城壁の上に居るイエス、天使、聖徒などが見えるので、そんなに高くない事が分かる。


第41章 第二の死

サタンは軍団の中に駆け込んで、彼らを奮起させようとする。 しかし、天の方、神様から火が降り注がれる。 そこで偉大な人、力強い人、貴族たちや貧しい人たち、卑しい人は皆一斉に焼き尽くされる。 ある人は早く滅びたが、他の人はもっと長く苦しめられた事を私は見た。 彼らは肉体でやった事に応じて罰せられた。 ある人は多くの日数を掛けて焼かれ続けた。 体に焼かれていない部分がある限り、痛みは和らぐ事なく感じられる。 あの天使が、「命の虫が死ぬ事はない。 彼らの火は食い物にする部分がある限り、決して消える事はない」と言った。

「神様から火が降り注がれる」。 宇宙の者皆の幸せのため、神様は愛を込めて悪人を皆殺す。 せっかく自分が創った者が永遠の死を選んだのを見る神様は、心が痛むでしょう。 どういうふうに燃えるか、あれこれ考えられるけど、言える事は→神様を一番知ってた上拒んだ者が一番長く燃えるし、神様を知るチャンスがあまりなかった者はすぐ燃えてしまう。 だから神様を一番知ってた上で拒んだサタンは一番長く燃えるに対して、神様を知るチャンスが少なく、やった悪事が少なかった人は瞬く間に消える。 この魂をも燃やせる火はめちゃ痛いでしょう。


しかしサタンと彼の天使たちは長く苦しめられた。 ただ自分の罪の重みや罰だけを負わないで、償われた人の罪がみなサタンに置かれていた。 その上、彼が台無しにした者たちの魂のため苦しまなければならない。 次に、サタンと悪い者が皆焼き尽くされたのを私は見た。 それで神様の正義感が満たされた。 そこで天使と償われた聖人は皆、大きな声で、「アーメン!」と言った。

愛と正義、神様にこの性質が両方存在してる。 サタンは「愛と正義は矛盾してる」と偽ってきたけど、悪い者が燃える事で全宇宙の生き物は神様の愛と正義が完全なものである事が分かる。 救われる聖徒は自分がやってた悪事のため苦しまなくても良い。 イエス・キリストが彼らの犯した罪をサタンに移って、サタンがそれらの罪のために苦しむ。 ハレルヤ!


あの天使が、「サタンは根で、彼の子らは枝である。 彼らは今、根元から枝まで焼き尽くされている。 永遠の死を喫してしまい、もう復活がない。 そして神様は清い宇宙を所有する」と言った。 次に私が見ると、悪い者たちを焼き尽くした火はゴミなどを焼却していて、地球を浄化しているところだった。 もう一度見たら地球はもう浄化されていた。 呪いの跡は一つもなかった。 割れた凸凹な地面は今、巨大な平原のように見えた。 神様の宇宙は隅々まで清くなった。 大闘争は永久に終わった。 私たちがどこに視線を向けても、どんな物を目にしても、すべてが美しく聖なる物ばかりであった。 そこで償われた年寄りや若者、偉大な人と小物は皆、償ってくれた者の足元に自分のキラキラ光る冠を投げ落とし、前にひれ伏して、永遠の永遠に生きる者を熱愛を込めて礼拝した。 美しい「新地球」とそこにある栄光のすべては、聖人たちが永久に相続するものであった。 その時、天下の権力と王国、それに王国の偉大さのすべては、いと高き者の聖人たちに与えられ、彼らはそれを永遠の永遠、永遠に所有する。

永遠に続く火が燃えてるような地獄は作り話です。 地獄は体と魂を共に火で焼ける物です。 でも永遠の永遠に苦しむような物ではない。 悪い者が皆永遠に死んでしまってから神様はこの地球を火で創り直す。 美しいものばかりで、想像もできない程きれいな所になるでしょう。 そしてこの地球のすべては我々に与えられ、永遠に所有する。 感謝! アーメン!

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